「三つの重要な戒め」について(2024年1月テレフォン法話)

 今月は、「三つの重要な戒め」について考えます。
 新潟日報の日報抄に仏教の言葉「三毒」について書かれていました。冒頭の個所を紹介すると、週末の休みに高齢の母を連れ、晩秋の福島・会津を車で巡った。訪ねたのは中田、立木、鳥追の三観音。三つの寺で、それぞれの観音像を参拝すると願いが叶う「会津ころり三観音」として知られる。三観音は三毒消滅の霊場という。三毒は、邪心な欲を意味する「貪」と、怒りや憎しみの心を指す「愼」、不平不満を言う「痴」のことだ。人が生まれながらに持つ煩悩と言えよう。と書かれています。
 私もこの会津ころり三観音に度々お参りに行きました。中田観音は、野口英世博士の母シカさんが毎月往復40キロの道を歩いて通い、息子の無事を祈ったことで知られています。立木観音は、根が付いた7メートル余りの立木に見事な観音様を刻み周りに本堂を建立しました。鳥追観音では、いつもながら住職さんの法話が面白くて大笑いしたことを覚えています。
 この日報抄に書かれている三毒とは三つの毒と書きますが、釈迦が説いたと云われる十の戒め「十善戒」の最後の三つで、釈迦が日頃人々に話した内容であることから最も重視した戒めと考えられます。貪は執着しないことを戒めています。人はよく執着します。こうしなければいけない、これがほしい、これでなければダメだ、これはまちがっている、精神的に傷ついたと何かにこだわって悩み苦しみます。全ての執着をやめると心が楽になると説いています。越後の良寛さんは、何もいらないと云って雪深い国上山の中腹にある五合庵で、40年に渡って一人詩歌を詠み書を書いて暮らしました。
 次の愼は怒りの心をもってはいけないと戒めています。先師の言葉に、「自己を捨てるとは自己を忘れることだ」という言葉があります。仏教では自己を捨て無心になれと説きます。自分を中心に考えれば怒りの気持ちがわきますが、自己を捨て相手を中心に考えることができれば怒りは収まると教えます。
 最後の痴は、正しい考え、正しい生き方をするよう戒めています。仏教では、人は慈悲の心と智慧をもって生まれてくると説きます。本来の智慧を発揮すれば、人は迷わず正しく生きることができるはずです。釈迦が説いた教えとされる法句経の一節に「恋人や友人から「頼りにならない人ね」と罵られても、悪党から「バカヤロー」と殴られ羽交締めにされようとも、怒ることなく、恐れることなく、平常心を保って穏やかに対応する。それほどまでの忍体力のある人こそ、強力な軍隊並みの底力を持ち、智慧ある人と呼ぶにふさわしい。」があります。智慧ある人は、怒りの心を持たないと説いているのです。
 この日報抄を書かれた記者の方は、本当に良い親孝行をされたと思います。昔気質の方は、元気に動いていて、寿命が来たら突然亡くなる「ぴんぴんころり」に憧れています。以前は、今のように施設に入るといった福祉が充実していない時代ですから、具合が悪くなって寝込み、家族に迷惑をかけたくないと考える人が多くいます。そのため、昔から会津ころり三観音のような霊場巡りが盛んに行われています。どんなに寝込んでも気兼ねせず最後まで生きて命を全うできる、慈悲の心に満ちた社会の実現が理想の仏の世界と考えます。


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