「人間だけが抱く希望」」について(2024年2月テレフォン法話)

 今月は、「人間だけが抱く希望」」について考えます。
 朝NHKニュースおはよう日本を見ていたら、55歳のノンフィクション作家佐々涼子さんが、「生と死を書く作家・余命と向き合う日々」のタイトルで紹介されました。佐々さんは40歳目前で作家デビューし、一貫して「死」というテーマと向き合ってきました。2022年11月に稀少がんの脳腫瘍と診断され、医師から余命14か月と告げられます。現在夫と二人暮らしの佐々さんですが、近くに住む息子夫婦が幼い孫の男の子を連れて毎日のように遊びに来てくれるそうです。
 近くの公園で元気に滑り台で遊ぶお孫さんを笑顔で見ている佐々さんですが、ときおり寂しそうな表情が浮かびます。これまで生と死をテーマに多くの作品を世に送られた佐々さんに、出版社から自身の死を取り上げた作品を書いたらどうかと申し出があったそうですが、書く気になれないと力なく話されます。数日後NHKの取材の方に「希望とは何だろう。その希望とはどこにあるのだろう。遺された人はその限りある命をどこまでも楽しんでほしい。少しずつ何か書いてみたいと思うようになった。」と語ったそうです。番組の中で女性アナウンサーが「佐々さんが、どんな希望について書いてくれるか楽しみ」と結びました。
 高齢や病気で末期の犬や猫を保護し、ボランティアで動物の介護をする施設の番組をテレビで見たことがあります。世話をしている女性が「動物は、死にそうになっても少しも騒ぐことはありません。少しずつ弱っていき静かに息を引き取ります。」と語っていました。一方人は、死に臨んで人生最大の苦しみに苛まれます。人間だけが死の意味するところを知り、必ず死が訪れることを知っているからです。有難いことに、人は地球上最も優れた生物で、希望を抱くことができます。人は、希望があれば死に向き合って生きることができるのです。
 仏教の開祖釈迦には多くの逸話がありますが、その一つに「爪上の土」があります。爪は爪ですので爪の上の土を意味します。概要は、釈迦が若い弟子の阿難さんを伴ってインド各地を巡り教えを説いて旅していた時、広大な砂漠のような平原にさしかかります。釈迦は立ち止まり、腰をかがめて指で土をつまみ両手で土を払い落とします。釈迦は「阿難よ、この見渡す限りの平原の土と私の指の爪についている土とどちらが多いと思うか」と尋ねます。阿難は「それはこの広い平原の土の方が途方もなく多いと思います」と答えます。それを聞いて釈迦は「そのとおり、この世では毎日この平原の土の数だけ命が誕生している。しかし人として命を得ることができるのはこの爪の上の土の数だけなのだ。幸いにして人として生まれたからには、いっそう修行に励みなさい」と諭します。この逸話を読んで、人として生まれることが希望の始まりであることを知りました。
 今まで、自分の周囲やテレビ、新聞等で遺された命が少ないことを告知され、死に向き合い極限まで苦しむ多くの人を知りました。苦しみの果てに最後に達した皆さんの想いは、死が訪れる直前まで自分らしくやりたいことをやろうと決意することでした。この決意こそ、人が抱く最後の希望と考えます。私も佐々さんが希望について作品を書かれたら読みたいと思います。


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