十善戒についてお話いたします。(2018年1月テレフォン法話)

平成30年新年あけましておねでとうございます。新しい年を人間として迎えることができますことは、お互いこれ以上ないおめでたいことと喜び合いたいと思います。
今月は、10のよき戒めのお経であります十善戒についてお話いたします。
一つずつ申し上げますが、不殺生・生き物を殺さない、不倫盗・他人のものを盗まない、不邪淫・淫らな男女の関係をしない、不妄語・嘘偽りを言わない、不綺語・たわごとを言わない、不悪口・人の悪口を言わない、不両舌・二枚舌を使わない、不慳貪・ものを惜しみこだわらない、不瞋恚・怒ったり憎むことをしない、不邪見・間違った考え方をしない、以上の十の戒めです。
 この十善戒は、真言宗では大変重要な戒律で、お坊さんになる儀式の得度式で戒師から弟子に授けられたり、お葬式で導師が死者に引導を渡すとき授けられます。
お釈迦様は悟りをひらかれてから、何千人という修行者を率いておられましたが、その教団には数多くの厳しい戒律があり、厳格に守られていました。
現在でもタイやミャンマーのような東南アジアの仏教国では、お釈迦さまの時代に近い形で正午を過ぎたら食事をしないといった厳しい戒律が定められています。
一方日本の仏教は、中国、朝鮮を経て伝わった大乗仏教と呼ばれるもので、戒律はそれほど多くなくこの十善戒や五戒が代表的なものです。
私はこの十善戒を唱えながら思いますのは、一つは人の言葉に関するものが十中4あり多いと感じます。このことは人の言葉は聞く人を知らず知らずに傷つけ苦しめることがあるので気を付けなければいけないということかと思います。
もう一つ思いますのは、お釈迦様なら十善戒のうち8番目の不慳貪が最も大事だと言われるのではないかと想像されることです。この不慳貪は物事にこだわらないという戒めですが、お釈迦さまが教えを説かれるとき執着してはいけないと絶えずおっしゃっておられましたが、このこだわらないということは執着しないということと同じと考えます。
人は絶えず物事に執着しこだわります。あれがほしい、これを失いたくない、こうすればよかった、こうしなければよかつた、どう思われているだろうか不慳貪の戒めを守れず自らを苦しめ、他人をも苦しめます。
この執着の最も顕著な事例が、勝手な思い込みで女性や男性に付きまとうストーカー行為だと思います。ストーカー犯罪はときに殺人事件まで引き起こします。もし、一切のこだわりを捨て、思い通りにならないことは切り替えて、新たな道に進んでいくことができれば、精神的にずいぶん楽になれるのではないかと思われます。
この執着・こだわりを離れるもう一つの仏教の教えは無私だと思います。
無私は文字通り自分を無くするという青葉です。執着とかこだわりは全て自分のためですから、その自分を一時的に無くして自分はどうでもいい、どう言われてもいい、どう思われてもいいという気持ちで物事を見たらこだわりを捨てられる気がします。自分を無くして改めて自分を見つめなおすと自分にとってもっと大事なものが見えてくるかもしれません。


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