「精進」について(2023年8月テレフォン法話)

 今月は、「精進」について考えます。
 大相撲で大関に推挙された力士が、伝達に来た相撲協会理事の親方に「より一層相撲道に精進いたします。」と口上を述べる様子をテレビのニュースで見たことがあります。精進は努力するという意味の日常語になっていますが、本来仏教の言葉です。仏教の重要な教えに仏になることを目指す修行として六波羅蜜の実践がありますが、その六つの実践の一つが精進です。
 先月仏教伝道協会から、法話の名手として知られる僧侶の方々の法話集が送られてきましたが、今回の題名は「精進」で副題は「不断の努力」となっていました。掲載されている法話の一つ「今なすべきことを努力してなせ」を紹介します。法話の中で、過去や未来ではなく今を見なければならない教えとして、お釈迦様が説法のときに取り上げられた「一夜賢者の偈」を話されました。
 最初の個所を要約すると、「過ぎ去ったことを追いかけてはいけない。いまだ手にしていないものを願ってはいけない。過去はすでに捨てられた。未来はいまだ来ていない。であるなら、ただ現在あるものをよく観察しないといけない。迷うことなく、動ずることなくそれを見きわめ、実践すべし。ただ、今日まさに為すべきことを熱心になせ。」となります。釈迦は、過去は忘れ、未来を願わず、ただ現在あることに努力、精進せよと説いていたのです。
 最後に、鎌倉円覚寺管長様のプログでの言葉、「明日はどうなるかわからないけれど、今日一日は笑顔でいよう。つらいことは多いけれど、今日一日は明るい心でいよう。いやなこともあるけれど、今日一日は優しい言葉をかけていこう。」を話されました。管長さんは、毎日を笑顔でいよう、明るい心でいよう、優しい言葉をかけていこうと精進することが大切と述べているのです。
 人は、時として精進を苦労と捉えることがあります。確かに、地球上の全ての生き物は大変な苦労をして生きています。寺の周りで時々タヌキや雉がエサを探して歩きまわっているのを見かけますが、生きるために日々大変な苦労をしているのを感じます。人もまた苦労を重ねながら生きていますが、その中で日々喜び、悲しみ、苦しみ、愛、感動、気付きを得て、人として互いに成長し豊かな人生を送ることができます。人の苦労とは、仏となることを目指す六波羅蜜の実践、精進そのものだと考えます。
 宗教学者中村元博士は、「釈迦が目指した仏とは、最高の人格者になることである。」と著書に書いておられます。人は精進という苦労を重ねて仏に近づくことができるのではないでしょうか。一方、宗教学者ひろさちやさんは著書の中で精進について、「精進は、確かに努力の意味である。しかしわたしは、努力主義というのは、真の意味での仏教の教えではないと思っている。仏教が教える精進は、正しい努力でなければならない。仏教の根本精神は中道にあるのだから、努力のし過ぎは仏教の精心ではないのである。仏教の精進はゆったりとした努力である。」と述べています。
 釈迦の中道とは、「快楽におぼれたり、心と身を壊すほどの極端な努力をしてはいけないと戒め、正しい判断ができる、心にゆとりある精進を実践することを意味し、極端を避け、ほどよい中ほどの道を歩め」と教えています。


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