今から2500年ほど昔インドに生まれたお釈迦様は、人間は智慧と慈悲を持つことから1人1人が宇宙で最も優れた存在であると説きました。今月は、慈悲について話します。慈悲の慈は生きとし生けるものを幸せにしたい、悲はその抱く悲しみ苦しみを取り除いてあげたいと願う心を意味します。
昨年暮れに新潟日報を見ていましたら、長岡・見附・小千谷地方版の温かい穏やかな雰囲気をもった一枚の写真に目が留まりました。場所は雪深い中越のお寺の一室で、時は戦時中の正月の一コマです。映っているのは、太平洋戦争で空襲が激化する中東京から学童疎開で避難してきた小学生です。大きな炬燵に20人近い子供たちが入ってトランプやすごろくで遊んでいますが、女の子も男の子もみんな子供らしいはじけるような笑顔です。その表情には親から離れ、見知らぬ土地に来た寂しさ・不安といったものをみじんも感じさせません。そして、写真には二人の大人が入っています。お一人は疎開児童約60人を預かる普済寺の住職さんです。衣をつけた住職さんは子供たちの傍らに立たれ、穏やかな優しい笑顔で子供たちが遊ぶ様子を見ておられます。そのお姿は慈悲を象徴する仏、観音様かと思えるほどです。その表情には、子どもたちを全員東京の親の元へ帰すまで必ず護るとの強い決意が感じられます。もうお一人は、子どもの肩に手をかけて座っている、白いかっぽう着姿の明るい笑顔の女性です。記事によると地元の看護師で寮母さんを務めておられたそうです。彼女の優しい表情から「ここにいる間は私がみんなのお母さんよ、思い切り甘えてね」の言葉が聞こえてくる気がします。良寛さんは、「慈悲とは母親が我が子を命がけで護るようなものだ」と言っておられますが、この寮母さんも我が子同然に疎開児童へ慈悲の心で接していたのです。
記事の中で東京在住の87歳の女性が、「当時4年生で寺に疎開したが、親に会いたい気持ちはあっても、嫌な思いは何もなかった。迎えてくれた住職さんに感謝している。行けるものならば、もう一度行きたいわね。」と話しています。また、寮母さんの娘で現在佐渡に住む69歳の女性は、「戦後、当時の児童が自宅に会いに来たり、母が同窓会に招かりたりと交流は続いた。愛情深い母だった。」と語っています。私は、この写真と記事を見て涙しました。何と人の持つ慈悲の心とは尊いものかとの思いの感動の涙でした。
お釈迦様は、人の心を池の底にある汚い泥の中からでて、汚い泥に染まらず清らかなきれいな花を咲かす蓮に例えました。汚い泥とは人間社会で、清らかなきれいな蓮の花とは人が生まれつき持つ慈悲の心に他なりません。弘法大師空海様は、「本当の自分自身を知ることが、仏になる道である」と教えますが、本当の自分自身を知ることは、本来身につけている慈悲の心を知ることでもあると考えます。
現在、世界中が新型コロナウイルスの脅威にさらされ、人々の日常が奪われている不安な状況です。そんな中、コロナ禍に苦しむ社会的弱者を救うため立ち上がり、様々な支援活動を行う人たちが報じられています。普段の生活でも、人は皆助け合って生きています。やはり、人間は全て慈悲の心を持つ仏なのです。