苦しみを無くする仏教の考え方 (2018年4月テレフォン法話)

以前、釈迦はこの世は苦しみの世界であると話されたと書いましたが、今月は苦しみを無くする仏教の考え方の一つについて申し上げます。
沢木興道老師は、「自分のことを他にすれば解決できないことはほとんどない」と講話されました。自分のことを他にするとは自分を無くすること、自分のことはどうでもいいと思うことです。
苦しむということを考えてみますと、たいていの場合自分のために苦しい思いをしています。私はダメな奴だとか、とんでもないミスをしてしまったとか、好きな人に嫌われてしまったとか、自分がかわいそうだとかみじめだとか、どうみても自分のことで苦しんでいるのです。
人の苦しみを少しでも無くする道を探し求めた仏教者は、先ほどの沢木老師の青葉にあるように、自分のために苦しむその自分を無くすることができれば苦しむ必要がなくなることに気づきました。自分を無くするとは、自分はどう思われてもかまわない、何を言われてもいい、どんな扱いをされてもいい、どんなにみじめなことになってもかまはない、とにかく自分のことはどうでもいいといつでも思えることです。
なぜ自分は無いといえるのか、それは釈迦の悟られた諸法無我の教えがもとになっていると考えます。諸法無我とはすべてのものに絶対のものはないという考え方で、どんな人でもやがて死を迎えてその体は別のものへと変化してしまいます。このかならず変化するという意味ではどんな生き物でも物でも同じです。地球や太陽ですら何十億年の後では無くなってしまうそうです。つまりは絶対の自分、永遠のものなどこの宇宙では最初から無いということです。
絶対の自分など最初から無いのだから、何を言われても、何と思われても、どんな扱いをされても、どんなに嫌われても構わないと考え、無い自分のために苦しむことはないと考えたわけですが、これほど難しいことばありません。正直私は24時間、寝ている間も夢の中で苦しみ続けているように思います。本当は苦労の種になることは何も考えないことが一番の解決策なのですが、なかなかそうはいきません。そうはいかないのは人間が考えすぎる生き物であるからに外なりません。
人間が考えすぎて苦しみ続ける生き物であるなら、これを逆手に取ったらどうかと思います。同じ考えるなら今苦しいことを考える暇などない、人間として生きられる時間は限られているのだから、今やるべきことは何か、今やりたいことは何かを一生懸命考える、そちらに頭を切り替えることも苦しみをとうざける一手段かもしれません。
最後に、もう一度沢木興道老師のお言葉を繰り返します。「自分のことを他にすれば解決できないことはほとんどない」。貴方なら自分のことはどうでもいいと考え、ご自分を無くすることができるかお考え下さい。もし無くすることができたら、あなたは仏教の教えを自分のものにしたといえます。


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