自由律の俳人「山頭火」について(2020年6月テレフォン法話)

 今月は、自由律の俳人「山頭火」についてお話します。山頭火は明治・大正・昭和にわたって中国地方・九州・四国の各地を歩いて周り、家々の前に立ってお経を唱えわずかなお金や米をもらいその夜の宿代とする生活を送りましたが、その間詠んだ俳句が8万句を超えると言われています。
 山頭火は俳号で、本名は種田正一、明治15年12月3日に山口県の現防府市で裕福な地主の家に長男として生まれました。しかしその後の彼の人生はあらゆる不幸の連続で、10歳の時の母の自殺に始まり、家業の破産、弟の自殺、妻・息子との離別等に遭遇し苦しみ悩み続けました。そんな苦悩の中で若くして文学に目覚め、20代では五・七・五の定型にこだわらない自由律の俳句の世界に入り、多くの俳句仲間と交流することになりました。
 その後、43歳で熊本の曹洞宗報恩寺において出家得度し僧侶となりました。
翌大正15年4月、解くすべもない惑いを背負うて、行乞流転の旅に出たと山頭火は記していますが、長く苦しい放浪修行の旅の始まりでした。旅の最初の一句は熊本から宮崎にいたる県境の山中で詠んだ「分け入っても分け入っても青い山」でした。「お経あげてお米もろうて百舌鳥ないて」の句のように村に入ると家々でお経をあげて周りますが、「たんぽぽちるやしきりにおもう母の死のこと」「捨てきれない荷物のおもさまえうしろ」「どうしようもない私が歩いている」などの句に見るように、大きな苦しみに包まれた長い旅でした。
 私が山頭火の句で最も印象に残っているのは「無にはなれるが空にはなれず」の一句です。この句には仏教の大切な教えが込められていると感じます。
前半の無にはなれるがですが、仏教特に曹洞宗で重視する考え方です。無になるとは自分を捨てることに他なりません。私もたまに無になることがあります。先月は例年になくカメムシが大発生し、掃き出しても掃き出しても家の中に入ってきて、うっかり踏みつぶすと嫌なにおいが鼻につきます。一日カメムシと格闘しながらふと思いました。俺もこのカメムシも同じではないか、同じく縁あってこの地球で命を得てまた縁あって死んでいく、そうか俺はカメムシなんだ、カメムシは悩んだり苦しんだりしないぞ、じゃあ俺もそうしよう。私が無になって人間を捨てた瞬間です。
 次の空にはなれずですが、空は空と書きますが、般若心経にも出てくる大切な仏教の教えです。山頭火は空について次のように書いています。「空、それは煩悩がなくなった境地だ。いやいや、菩提に囚われない境地だ。執着するなよ!」と。煩悩は人が持つ限りない欲望を意味し、菩提は悟りを意味します。山頭火は空をどんな大切なことでもこだわらない、いざとなればいつでも捨てることができる、そのような心を云うのだと言っているのです。
 山頭火は常々「私の念願はただ二つ、一つは本当の自分の句を作りあげること、そして他の一つはころり往生である」と周りに言っていました。空にはなれずとは自分の句を完成したいという煩悩が捨てきれないということでしょうか、二つ目の念願ころり往生は、昭和15年10月11日心臓麻痺で文字道理ころり往生を遂げました。享年58歳でした。


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