最後の越後瞽女といわれた小林ハルさんについて(2018年12月テレフォン法話)

今月は、顔のしわについてお話します。お恥ずかしい話ですが私近年視力が落ちてきて初めて遠視の眼鏡をかけましたが、その眼鏡で鏡を見たときぴっくりしました。あまりにもしわだらけの顔で自分の顔でないように思ってしまいました。今まで目が悪くてしわが見えなかっただけとやっと気が付きました。
その時だいぶ前に見た、最後の越後瞽女(ごぜ)といわれ105歳で亡くなった小林ハルさんのお顔を思い出しました。ほんとに偶然ですが出かけた先でたしか北蒲原の黒川村だったかと思いますが、小林ハルさんが最後に過ごされた老人ホームの近くを歩いていた時小林ハルさんの写真展の看板が目に留まり、展示会場の老人ホームに入つてみました。展示場にはハルさんが写っている大小さまざまな写真がありましたが、その中で晩年の老人ホームでのハルさんのお顔が大写しになっている写真の前で足が止まってしまいました。
その顔は黒ずんで多くの深いしわが顔じゅうを覆って、しわの中に隠れるように小さくつぶられた悲しそうな二つの目がありました。このしわの深さにハルさんの悲しみと苦しみに覆われた壮絶な人生が透けて見えるようでした。
ハルさんは明治33年現在の三条市で生まれましたが生後3か月で失明し、5歳の時瞽女修行に出されます。親として目の見えないハルさんが生きていくには瞽女になるしかないと泣く泣く瞽女の師匠のところへ連れて行ったと思われます。瞽女は盲目の旅芸人で三味線を弾き語り瞽女歌を歌って門付け巡業をして新潟・山形・福島を歩いて回った人たちで、ハルさんを最後に瞽女はいなくなりました。ハルさんは8歳で初めて巡業にでますが、それまで小さな子供でありながら師匠さんから怒鳴られ殴られながらのどから血が出るほど、厳しい修行の末瞽女の芸を身に着けたそうです。それから昭和48年に廃業するまで巡業に回るわけですが、目が見えない人たちで回るわけですので想像を絶する苦労があったと思います。晩年ハルさんが言った言葉「今度生まれてくるときは虫でもいい、目が見えるもんになって生まれてきたい」にハルさんが歩んできた深い苦しみが込められているようです。
釈迦は、この世は苦しみの世界であると言いましたが、正しく考え正しく行動すれば苦しみをなくすことができると教えました。ハルさんは大変な苦しみの中で間違った考えを持たず、間違った行動をしなかった、そのことが105歳まで苦しみに耐えてくることができた一つの要因かと思われます。
話は変わりますが、最近直木賞作家で95歳の現在も小説を書き続けている佐藤愛子さんの書かれた本が、書店の店先に並んでいるのが目につきました。その本の表紙の帯力バーに「人間は不幸が大きいほど深い人生を送ることができる」の文字が目に留まりました。その佐藤さんの言葉から、ハルさんの人生はそのお顔のしわのようにだれにも負けない深いものだったに違いないと痛感しました。
最後にハルさんの言葉「良い人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」を紹介します。毎日のように歩いて巡業に行くわけですが、一緒に行く人が優しい人ばかりだと祭りのように楽しかったのでしよう、反対に意地悪な人が一緒ですとつらいわけですが、幼い時の修行だと思って耐えたのでしよう。


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