普通の人が仏になれるか(2019年8月テレフォン法話)

今月は、普通の人が仏になれるかについてお話します。
最近ハンセン病に関する裁判のニュースを目にしました。それはハンセン病家族国家賠償請求に関する裁判で、訴えた患者家族側が勝訴し国は控訴を断念するというものでした。そのニュースを見てハンセン病について認識を新たにしました。
その矢先、偶然テレビを見ていましたら元ハンセン病患者で、国によるハンセン病患者の強制隔離政策が続いた問題で国が全面敗訴した国家賠償訴訟で、原告だった上野正子さんがテレビのインタビューに答えておられました。
現在92歳で、裁判に勝訴した後も65年間隔離された鹿児島市の国立ハンセン病療養所で暮らしておられる上野さんは、ご自身のつらい体験を穏やかな表情で時に笑顔でお話されていました。私は上野さんのお話を聞きながら小さい時の記憶を思い浮かべました。それは佐渡の地元でバスに乗った時、一人の不気味な顔をした初老の男性が乗っているのに目が釘付けになりました。顔中でこぼこのあばたで鼻はつぶれてほとんどなく鼻の穴だけが上を向いていました。ぎょろっとした目が気味悪くお化けだと思ってしまいました。今思うとその方は癩病と呼ばれたハンセン病患者の方だったと思われます。
国は昭和の初めからハンセン病が人に移る感染病と間違った判断から、全ての患者を全国各地に設けた療養所に隔離し、ほとんど感染せず薬で直ることがわかってからも平成8年まで隔離し続けました。
上野さんは沖縄の石垣島で13歳の時ハンセン病に罹り、父親に連れられて鹿児島の国立ハンセン病療養所に行きましたが、翌朝目を覚ました時父親の姿がなかったそうです。以来65年間療養所から一歩も出ることができず、夢と希望に満ちた一人の女性としての人生は全て打ち砕かれてしまいました。
療養所で同じ患者の男性と結婚しましたが、夫は本人に断りもなく断種手術を受けさせられ欲しかった子供はできなかったと話されました。療養所での暮らしは一切人間扱いされない辛いことばかりだったそうです。私は上野さんのお話を聞いているうち、涙が止まらなくなりました。そんな残酷なことがあるだろうか、13歳から親・兄弟や友達にも会えない、普通の楽しみ喜びが得られない人生が65年間も続いた、私には到底耐えられません。
最後に語られた上野さんの言葉、「今は神様が私にも何か役割があると思ってハンセン病にしたと考えて、なってよかったと思っています。今あちこちの中学校で自分の体験を話して回ることが楽しみになっています。」に深い感動を覚えました。同時に世界的な宗教学者の中村元博士が生前お書きになった一文
「釈迦が説いた仏の概念は、完全な人格者を意味する。」が頭に浮かびました
仏が完全な人格者のことであるなら、完全な人格者とは何か、私の考えではどんなときにも心が乱されることがなく、人間として生きていることに無上の喜びを感じ、社会に対する自分の役割を知ることができる人ではないかと信じます。しかし誰でも完全な人格者たる仏になることはできません。上野さんのように特別な苦しみに耐え、人生修行を積んだ人こそが到達できる世界だと思います。私のように甘い人生を送っている者にははるか遠い世界です。


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