他力の教えについて(2019年1月テレフォン法話)

 新年早々お詫びしますが、正月準備などのため3日法話の更新が遅れました。
 今月は他力の教えについてお話します。日本に伝えられた仏教の教えには自力の教えと他力の教えがあります。自力の教えは真言宗や天台宗、禅宗などのように自らの努力によって正しい生き方を知ることですが、一方他力の教えはひたすら阿弥陀仏様にすがって正しい生き方を示していただくというものです。
 他力の教えは浄土宗や浄土真宗のように浄土系の教えということになります。世界の宗教をみますとほぼ全て絶対的な神を信仰する他力の教えですので、日本の仏教では唯一浄土系の教えだけが本来の宗教らしい宗教といえるかもしれません。この浄土系の教えのもととなっているのは、大無量寿経こ遠い昔に法蔵比丘という修行者が厳しい修行の未阿弥陀如来になられた時、阿弥陀如来の48の誓いの18番目として書かれているもので、人は死後阿弥陀様の世界・極楽浄土に生まれたいと願い南無阿弥陀仏を10回唱えれば必ず極楽浄土に迎え入れるというもので、最も重要な誓いであることから弥陀の本願といわれるものです。
 浄土信仰は鎌倉時代に庶民の間に爆発的に信仰され、今日日本の仏教で最も多くの信者を集めています。ただ私はこの浄土の教えがどうにも理解できなくて、自らの努力なくして本当に救われるのかずっと疑問に思っていました。昨年後半に71にもなってやっとその疑問が解けました。
 偶然NHKの新潟版のニュースを見ていた時、上越市の中学校で、心の相談室という一室で浄土真宗の僧侶が生徒の悩みを聞くという報道が流されました。まずぴっくりしたのはお坊さんが中学校へ出入りしているということでした。以前から聞いていましたのは教育法のなかで特定の宗教を学校に持ち込むことはできないと規定されていて、宗教者は学校へ立ち入れないと思っていたのにそのお坊さんは堂々と中学校で子供たちに会っていることです。
 つぎにぴっくりしたのは、心の相談室で子供に話している内容です。放送では男子生徒と向かい合い優しい笑顔で「そうか学校の中に君の居場所がないのかそうすると学校へ来るのがつらくなるよな。ところで仏教の救えに他力の教えというのがあるんだよ。この教えは人は苦しいことを自分だけで抱え込まず苦しい思いを他に渡す、投げ出すというもので、聞いてもらう人は親でも先生でも友達でもこの私でもいい。もし誰もいなければ私のお寺へ来て本尊様の阿弥陀様に話してもいい、とにかく誰かに開いてもらうことだよ。」と言っているのです。子供は明るい顔で部屋を出ていきました。きっと聞いてもらう相手が分かったのでしよう。
 私はこの報道を見て阿弥陀様にひたすらすがるということは、自分の苦しみを全て阿弥陀様にさらけ出すということか。そうすると阿弥陀様の方から「そうか苦しいか、う-ん-緒に苦しもうか、いつか答えが出るよ、ゆっくり考えよう」などといった答えが返ってくるということかと知りました。つまり自分の心の中に阿弥陀様の声が聞こえてくるのでしよう。もともと人は一人では生きられません。互いに助け合い、支えあってこそ人間の社会なのですから。


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