アフガニスタンで銃撃され殺害された中村哲さんについて(2020年1月テレフォン法話)

 今月は、先月4日にアフガニスタンで銃撃され殺害された中村哲さんについてお話します。中村さんはお医者さんですので先生と言わせていただきます。
 中村先生は36年ほど前、国際医療NGOの一員として長年戦乱が続くアフガニスタンに赴き、連日十分な医療を受けられなかった大勢の大人や子供の患者を治療してきました。任期が終わっても、目の前で困っている人を見て見捨てるわけにはいかないと考え、内戦が続く危険なアフガニスタンに留まって医療活動を継続しました。治療を続けるうち、やがて先生は様々な苦しみにあえぐ人たちには病気以前の問題がある、汚い水しか飲めない、干ばつが続き大地はからからに乾いて作物が育たない,この現状を変えることが先だと気づかれました。聴診器をシャベルや重機のハンドルに持ち替えた先生は、アフガニスタンの人たちに協力してもらいながら数千の井戸を掘り、困難な用水路建設に乗り出して完成させ大地に緑がよみがえりました。そして,新たな用水路建設に着手しようとした矢先、先生は殺害されました。どんなにか無念だったことでしょう。テレビの画面に映るアフガニスタンの高齢の男性は「中村は私たちを救うために命がけでアフガニスタンに尽くしてくれた。それなのに彼を守ることができなかった」と言って涙を流していました。その映像に私は目頭が熱くなりました。
 福岡県大牟田市の自宅でインタビューを受けられた中村先生の奥様は、「悲しいばかりですよ。今日みたいな日が来ないことだけを祈っていました」と絞り出すように語り、涙をぬぐったと新聞に載っていました。また、「家にずっといてほしかったけど、本人が活動に懸けていた」とも語り、奥様は貧困層の支援に情熱を傾け続けた夫の人生に理解を示したとも記されていました。
 この奥様の言葉を見て、私の脳裏に大日経の三句が浮かびました。大日経は真言宗の最も大切なお経の一つですが、とても大部で難解なため私の頭では到底理解できません。ただ大日経の中で最も重要なフレーズの三つの句「大日経の三句」だけはなんとなく分かります。それは「菩提心を因となし、大悲を根となし、方便を究竟となす」というものです。
 まず菩提心を因となしですが、菩提心は仏教用語で悟りたい、正しい生き方を知りたいと強く求めることですからその思いが始まりですよということになります。次の大悲を根となしですが、大悲は大きな悲しみと書きます。これは人は生まれつき悲しみ苦しむものを救いたいという強い欲求である慈悲の心があるとする仏教の教えから、正しい生き方をもとめる根本に自らの心にある慈悲の気持ちを置くということです。最後の方便を究竟となすは、方便は社会に対する働きかけという意味ですので、最も大切なことは苦しんでいる人を助ける慈悲の心を実行に移すことですよと言い切っています。中村先生は、ご自分の慈悲の心をアフガニスタンの貧困に苦しむ人たちを救うために、見事に実行に移されたのです。先生は大日経が教える最も正しい生き方を最後まで貫いたことになります。大日経は真言宗の本尊である大日如来と一体となる道を説いています。中村先生はアフガニスタンの人たちにとって真の大日如来でした。


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