「誰でも生きているうちに仏になることができる。」について(2022年5月テレフォン法話)

 今月は、「誰でも生きているうちに仏になることができる。」について考えます。市の両津図書館で書架を見ていたら「日常生活で仏になる方法」という題名の本が目に留まり借りて読みました。著者は大学の教育学の教授で、10代の頃から仏教の悟りに興味を持ち、日常生活でいかに仏になるかを考え取り組んできただけあって、本当によく仏教を分かっておられると感じました。
 教授は「死んでから、さあ仏になろうとしたってそうはいきません。すでに、時遅しなのです。」と書いています。お葬式で迷わず成仏してとかいいますが
本当は教授が言うように生きているときこそ仏になると書く成仏することが必要です。インドで仏教を始めた釈迦は、長く厳しい修行の末、生老病死をはじめとする人のさまざまな苦しみを無くす道を悟り、インド各地を廻って正しい生き方、考え方を人々に説きました。仏教は、釈迦のように生きているうちに仏になることを目指す宗教なのです。何しろ仏になるほどありがたいことはありません。一切の苦しみが無くなるわけですから。教授は、釈迦のように100%の悟りを目指さなくていい、悟りのレベルを少しずつ上げていくだけでも見える世界が変わってくるといいます。そして、様々な悟りのレベルを上げるトレーニング方が書かれています。その一つに心の執着を捨てるトレーニングがあります。例えば、誰かを好きになった時「この人と付き合いたい!」と思ってもうまくいかない場合は「自分はこんなに好きなのに!」と思い込むと執着になるので、「自分に合う人は他にもいるかもしれない」「相手が拒絶している以上、恋愛関係は成立しない」などと、ありのままの現実を見つめる心のトレーニングを行うよう日常心がけるといったことです。他にも呼吸方など悟りのレベルを上げる様々なトレーニング方が書かれています。
 著者は、人は悟ることを重ねて仏になることができるといい、悟りとは吹っ切れる精神ともいっています。恋愛を例に挙げ、どうしても好きな子がいたけれど、彼女には彼氏がいてかなわぬ恋だということがうすうすわかってくる。もうぐずぐずしてもしょうがないから「俺は吹っ切るぞ」と決意することができたとき、急にまわりの女の子がキラキラと輝いて視界に入ってきたりします。と書いています。
 私も吹っ切れた瞬間があったような気がします。若い時職場の人間関係に悩んだ時期がありましたが、その頃中学の同級生が亡くなったと連絡が入り、テレビで活躍している方が急死されたニュースを見て「結局は皆んな死ぬんだ」と気付かされ、自分も死んだら悩みも一緒に無くなる、どうせ無くなるなら悩むのはやめようと吹っ切れた気がした記憶があります。
 私は、仏とは自分のことはあまり考えず、周りに苦しんだり悲しんだりしている人がいたら、何か手助けができないかとの想いから行動している人のことではないかと思います。自分のことは何を思われても、何を言われても気にしないのであれば苦しみはなくなるはずです。手助けができて苦しみ悲しんでいる人に笑顔を見ることができたら、こちらも幸せな気持ちになれるはずです。
いままで仏の心をもつ多くの人に出会いましたが、皆さんとても良い人との印象を受けました。仏とは良い人のことだと思います。


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