「生老病死」の苦しみについて(2020年10月テレフォン法話)

 今月は、「生老病死」の苦しみについて考えてみたいと思います。仏教の原点は、釈迦が全ての人が根源的に持つ苦しみをどうしたら無くすことができるかとの強い思いから、道を求めて29歳で修行生活に入り35歳で悟りを開いたことに他なりません。その根源的な苦しみこそ「生老病死」の4つの苦しみでした。生は生まれる苦しみ、老は老いる苦しみ、病は病気になる苦しみ、死は死ぬ苦しみを云いますが、生きている人間にとって生の生まれる苦しみを乗り越えて今存在していることから、残りの老病死が現在の私たちが立ち向かわなくてはいけない苦しみとなります。
 有難いことに日本を含む先進国では近年高齢者福祉や医療への取り組みが飛躍的に向上して、まだまだ十分ではないとの声も聴かれますが、以前に比べますと老いと病気への不安が少しく軽減されつつあるように感じます。後は死の苦しみです。ガンになって医師から余命何か月と告げられた時、多くの人は、命さえあればどんなことにも耐えられるのにと絶望的な苦しみ、不安に心が覆われるのに違いありません。
 私事ですが、以前新潟で勤務しながら住職をしていたことから檀家でお葬式ができると休みをもらって佐渡へ帰っていました。30年も前になりますが、お葬式の連絡が来たことから朝早く船に乗るべく出かける準備をしながら、何気なくNHK教育テレビをつけました。画面に映っていたのは、穏やかな笑顔で女性アナウンサーのインタビューに答えている禅宗の有名な寺院の貫主の老僧でした。アナウンサーの方が「貫主さんはどのようにして悟られたのですか?」と質問されました。貫首さんの答えは「私は10代で寺へ入って、20数年座禅三昧の修業を積みましたがどうしても悟ることができず、内心焦っていました。 40代前半のある時近くの寺に暁烏敏さんが講話に来られるというので、朝早く出かけて最前列でお話を聞きました。暁烏敏は浄土真宗の僧侶で明治・大正・昭和に渡って活躍された方です。貫主さんは続けて話します、いよいよ暁烏さんが登壇され我々参加者を右手の人差し指で指差し、落ち着いた声で「あなた方今ここで死ねますか」と一言発しました。私はそのお言葉にハッと気が付きました。私がどうしても悟れなかったのは、いつでも死ねる境地に至っていなかったのだ。私はこの瞬間にいつでも死ねると悟ることができたのです。」
 私はこの貫主さんの言葉に、いつの日か貫主さんのように笑顔で自らの死を語ることできる僧侶になりたいとの思いを強くしながら、佐渡へと向かいました。
 人は誰しも死を恐れますが、同時に死がどういうことかも知っています。死は自然の営みそのもので命あるもの全てに訪れます。春野山に咲く草花が冬には枯れて無くなるように、生きとし生きるものには平等に死が待っています。釈迦はこの自然の営みを諸行無常の教えで説きました。諸行無常とはこの世に存在するものは絶えず変化し続ける、これが宇宙の真理だ。生まれたものが死ぬのはこの宇宙の真理に従うことに他ならない。よって人として生まれる幸運を得たものは、一日一日を大切に生きなければいけないと諭したのです。死が必ず訪れるからといって、何も悲観することはありません。なぜなら、あらゆる生き物の中で夢や希望を持つことができるのは人間だけだからです。


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