「不可能でない限り必ず道はある」について(2022年6月テレフォン法話)

 今月は、「不可能でない限り必ず道はある」について考えます。
 夜NHKEテレで「英国のシンドラー669人の子供を救った男」というタイトルの感動で涙する番組を見ました。番組の最初に、ステージが付いた大勢の観客が席に着いている劇場のような場所が映し出されました。ステージ中央には、にこやかに語りかける司会の女性キャスターがいました。
 彼女は、第2次世界大戦の直前、ナチスドイツによってチェコの首都プラハのユダヤ人キャンプに集められた669人のユダヤ人の子供を、イギリスの養父母のもとへ送って命を救ったイギリス人ニコラス・ウイントンの偉業について、モノクロ映像をスクリーンに映しながら話しました。
 当時ロンドンの証券会社に勤める29歳のウイントンのもとに、難民の支援をしている友人から電話がかかり「僕は今チェコのプラハにいる、君もすぐ来てくれ」という内容でした。友人のただならぬ気配にウイントンは休暇を取り、直ちにプラハへ向かいました。プラハに着くとすぐユダヤ人難民キャンプへ案内され、彼はそこで見た空腹と寒さに震える子供たちの姿に衝撃を受け、難民委員会をつくってユダヤ人の子供たちをイギリスに送る活動を始めます。イギリス政府と交渉して子供たちを受け入れる許可を取りますが、条件は全ての子供たちの里親を見つけることでした。この膨大な量の業務を「不可能でない限り必ず道はある」のウイントンの信念のもと、ナチスドイツの魔の手が迫る中わずか数ヶ月でやり遂げます。
 当時の映像が映し出され、プラハの駅に子供連れのユダヤ人家族が続々と集まってきます。親は、このままではナチスドイツのユダヤ人収容所に送られ殺害される、せめて子供だけは助けたいとの思いで嫌がる子供を列車に乗せたのです。ロンドンの駅には大勢の里親たちが迎えに出ていました。その中に子供を抱いた笑顔のウイントンが映っています。このようにしてウイントンは8本の列車を手配し、669人の子供たちの命を救ったのです。
 画面は初めの会場へ戻り、司会の女性が客席最前列の女性二人を指名し、2人の間の席にいる最前列中央の老紳士に手を差し伸べ、二人の女性に語りかけます「貴女たちのお隣にいる方は、50年前貴女たちの命を救うためプラハからロンドンへ列車で養父母のもとへ送り届けてくれたニコラス・ウイントンさんよ」。二人の女性は泣きながら初めて見るウイントンに抱き着きました。何も知らず会場に来ていたウイントンはメガネの下の涙を指で拭っていました。司会の女性は続けます「他に、この会場にウイントンさんから同じように命を助けられた人がいたら起立してください」と声をかけると、ウイントンを除く全員が起立したのです。ウイントンは立ち上がって振り向き、起立した数百人の男女の顔を見渡して何度も涙を拭っていました。
 私は番組を見て、釈迦の教え・この世は縁によって存在しているを思い起こしました。この669人のユダヤ人の子供たちは「不可能でない限り必ず道はある」との信念を持つ、ウイントンとの縁がなければ命が救われることはなかった。彼らの約6千人に及ぶ子・孫・ひ孫もまたこの世に存在できなかったのです。映像に映された彼らの幼い孫娘が、ウイントンの写真を指差して「彼がいなければ私の家族は一人もいなかった」と話す姿が忘れられません。


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