今月は、曹洞宗の澤木興道老師の言葉「人間は悩んだり苦しんだりする必要は全くないとお釈迦さんが言っている」について考えてみます。
この澤木老師の言葉を知ったのはだいぶ前のことで、いつどのような本で見たのか記憶がありません。ただその時から老師は釈迦のどの教えからそのような思いに至ったのか、私なりに考えてみました。
このテレホン法話でたびたび澤木老師の歯切れのよい仏教の教えを示す言葉を取り上げてきましたが、どの言葉も私の胸に強烈に響く忘れられないものばかりです。老師は一切物を書くということはされず、全国各地からの要請を受け生涯寺も家族も持たず講話をして回られ宿無し興道と呼ばれましたが、その話された講話の内容が多数残されていることから老師の深い意味を持つ明解な言葉を知ることができます。
この人間は悩んだり苦しんだりする必要は全くないと釈迦が言っているという老師の言葉は、釈迦の最も重要な教えである諸行無常、諸法無我のことを言っておられるのではないかと考えます。諸行無常はこの世に存在するすべてのものは絶えず変化していくもので同じ状態で居続けるものは一つもないという教えです。ですので人間のような生き物は必ず死んでばらばらになって別のものに変っていく。また、家や車のような物は腐ったり壊れたりしてやはりばらばらになり別なものに変っていくという宇宙の真理を示しています。次に諸法無我ですが、諸行無常の教えによりすべてのものが絶えず変化を繰り返すことから絶対の存在などない、つまり自分があると思いその自分のために悩んだり苦しんだりするが、永遠の自分などない。人間で居られるのは一時的なもので仮の姿なのだという教えです。一時的に人間である以上悩んだり苦しんだりする時間的余裕はない、この人間としての貴重な時間をいかに有意義に生きがいをもって生きていくかそのことこそ人間が考えるべきことなのだと澤木老師は語っておられるのだと思います。
私もこの釈迦の教えから、苦しんだり悩んだりしたときはそれは全て夢の中の出来事だと考えるようにしています。なぜなら夢は一夜の一時的なもので、人も一時的な命で一時的という意味では夢と同じです。また、夢は必ず覚めますが人に起きる全ての出来事も夢と同じで必ず覚めます。いつ夢から覚めるか、それは人が死を迎えた時です。あらゆる苦しみ悩みが人が死を迎えると同時に夢から覚めたがごとく消え去ります。いづれ消え去る悩みや苦しみをさほど気にする必要はないといえます。
澤木興道老師は、明治13年三重県の津市に生まれ、幼くして両親と死別したことから、言葉では言い表せないほどの苦労を重ねて禅の道を究められました。昭和初期から38年まで全国を講話されて回りましたが、想像するにかっての自分と同じように悩み苦しみ迷っている人達がいるはずだ、自らが到達した悟りの境地を講話の場で人々に語り、少しでも気持ちを楽にしてやりたいと考えておられたのではないかと思います。つまるところ、自分の為には苦しまないが人の為に苦しむことは老師の望むところということでしょうか。