「臨床宗教師」について(2023年2月テレフォン法話)

 今月は、「臨床宗教師」について考えます。私が臨床宗教師という宗教家がいることを初めて知ったのは、今から12年前、2011年3月に発生した東日本大震災の後でした。震災後様々なボランティア活動の方が被災地に入りましたが、宮城県の僧侶の方々が津波で家族を亡くし悲しみにくれる被災者の方に寄り添うため「心の相談室」を開設し、活動している様子が報道されました。同時に、東北大学で日本で初めて臨床宗教師の養成講座が開設されたことが報じられました。臨床宗教師は、がん患者さんで回復の見込みがない方や災害被災者の方に、宗教の立場から心理面での寄り添いを行う宗教者であることが分かりました。日本版チャプレンと紹介している本を読みましたが、チャプレンは欧米などのキリスト教文化圏において、病院や福祉施設、教育機関等で普通に雇われ心のケアを行うなじみ深い存在と書かれていました。
 アジアでは台湾の臨床宗教師制度が最も進んでいて、仏教の僧侶である臨床宗教師が病院だけでなく、自宅でも医療と連携しながら患者さんに寄り添う活動をしています。また、日本の臨床宗教師について、がん患者さんの終末期に痛みやその他の苦痛となる症状を緩和するホスピスなどに配置されている例がごくわずかと記されていました。そのわずかな例に新潟県長岡市の長岡西病院ビハーラ病棟があります。ビハーラ病棟には、釈迦尊像が安置された仏堂があり法話や彼岸会等が行われています。そこにはビハーラ僧の臨床宗教師がいて、希望する患者さんと話し合いを行います。ビハーラの理念の一つに「限りある生命の、その限りの短さを知らされた人が、静かに自身を見つめ、また見守られる場である。」と書かれています。
 臨床宗教師の活動について、看護師でがん患者として長く闘病生活をおくる夫を介護し看取った後、高野山真言宗の門に入り、200日に及ぶ厳しい修行を果たして正式に僧侶の位についた、玉置妙憂さんの著書「死にゆく人の心に寄りそう」から紹介します。玉置さんは、高野山を下りた後看護師の仕事をしながら僧侶として臨床宗教師の活動をされています。彼女は、臨床宗教師として患者の元へ伺うときは看護師としての仕事はしません。30分・1時間お話を聞くだけです。患者さんの中には「死んだらどうなるのか?」という話をする人もいるそうですが、そう聞かれたときは、「あなたはどうなると思いますか?」と聞き返すそうです。それは死んだらどうなるか聞いてくる人は、「こうなる」という自分なりのイメージを持っているように思うからと言います。死は、本人にとって最大の関心事です。緩和ケア病棟に入ったということは、死が間近だということを知っているからですと言っています。
 死に対する問いについて、そこから逃げ出さずに聞くことが大事です。答えはありませんから聞くだけですが、それでいいのです。「そんなこと言わないで、元気出して」などと言わずに、死にゆく人の言葉に耳を傾けます。もしも答えがあるとすれば、それは私たちの中にではなく、死にゆく人の中にあるのです。と語っています。人は自らの死について、自ら答えを出す力を持っているということでしょうか。良寛さんの辞世の句「散る桜 残る桜も 散る桜」が、私の中にある死に対する答えにできたらいいと考えます。


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