今月は、「病の苦しみ」について考えます。
今から2600年ほど前インドに生まれた仏教の開祖釈迦は、人の持つ4つの大きな苦しみ「生老病死」を始めとするあらゆる苦しみを無くす道を求めて厳しい修行に勤め、ついに悟りを開いて人々に教えを説きました。
私は、昨年12月前半に突然右足が効かなくなって歩けなくなり、佐渡病院の整形外科を受診し、椎間板ヘルニアと診断され手術のため入院しました。正覚寺と長安寺の正月準備ができず、1月のテレホン法話も12月中に退院しないとふき込めない状況に至りました。少し回復したため歩行器で歩き、日帰り外出許可をもらってふきこんでいます。自分の周りに、絶えず重い病に苦しむ人たちを見てきましたが、病がわが身に降りかかり、改めて病に苦しむ人たちの顔を思い起こしました。その顔は、見舞いに伺ったとき見たかすかな笑顔と違い、苦悶の表情を浮かべた絶望の涙でした。
ではいかにしたら、病の苦しみを無くすことは不可能でも、少しでも軽くすることができるのか。現時点では、釈迦の教え慈悲と智慧を拠り所とする他ないと考えています。今回の病で、多くの人の慈悲の心に触れあうことができました。家族の心配、友人の思いやり、医師の努力、看護師さんや医療スタッフの優しさ、同室の患者さんのサポートなど、一人で苦しみに耐えているのではないとの思いを強くし勇気づけられました。慈悲とは、人が生まれつき持つ、全ての生きとし生きる者の苦しみ・悲しみを無くしたいとする絶対的優しさです。この慈悲の心で接することが、他者の病の苦しみを少しでも軽くしてくれるはずです。
もう一つの釈迦の教え智慧ですが、人が持って生まれた物事の本質を理解する能力を意味します。釈迦の重要な悟りに、諸行無常があります。諸行とはこの世に存在する全てのもの、無常とは常に変化することを意味します。このことは、この世にある人でも物でも人の心でも常に変化していることを教えています。人の体も歳をとり、病気になり、死んでいくという変化を繰り返すのが宇宙の真理であり、誰もこの真理から逃れられないのです。
であるなら、老病死を悲しむのではなく当然のことと捉え、よくぞ人に生まれた、おかげで誰もが知りえない貴重な体験を得ることができたと考え、笑顔で死んでいくのが自然の法則に叶い、正解です。
病の苦しみを無くすもう一つの道を挙げるとすれば、とことん生きてやるぞという生きることへの執着かもしれません。私が尊敬する曹洞宗の澤木興道老師は、日露戦争に従軍し最も激戦の旅順の闘いに参戦しますが、敵の銃弾に口の中を撃ち抜かれ瀕死の重傷を負って日本に送り返されます。病床で老師は、天井の一点を見つめ一日も早く治して戦友の待つ旅順の闘いに再び行きたいと祈念しますが、終戦となりました。このとき老師が悟った、二度と人間に生まれることができない以上、とことん今を生きてやるという生への執念が老師を座禅会の第一人者に育て上げたと考えます。老師は、死ぬのは怖くないといって死んでいきました。