今月は、「忘れることの大切さ」と「神様からの贈物」について考えます。
新潟日報の論説日報抄に興味深い一文が掲載されていました。概要は、間違えないようにいくら気をつけても、やっぱり間違う。専門家は、間違いは避けられないと明言する。ただし機械のような脳もまれにあるのだという。過去に、ソビエト連邦で記者をしていた青年は、一度見たものをコピー機のごとく正確に記憶することができた。だが彼は、物事を忘れることができないためもがき苦しんでいた。彼の悲劇を思うと、あれこれ忘れてしまうことは心身を穏やかに保つために欠かせない仕組みということか。という内容です。
人は、他の生き物が苦しまないことに日々悩み苦しみます。その悩み苦しみが嵩じると鬱病になり、自殺する人さえいます。なぜ人は悩み苦しむのか。それは、人は頭がよすぎて悩み苦しみの原因をいつまでも忘れられないためです。日報称に記載されたロシアの青年のように、記憶力がよすぎて忘れることができなければ、頭の中は悪い記憶で爆発するような状態になるでしょう。
以前、NHKEテレでアフリカの草原で鹿の親子がライオンに襲われ、母鹿は逃げましたが子鹿はライオンの餌食になり食べられていました。その情景を離れた位置から見ていた母鹿はすぐその場を離れました。動物学者の方が「母鹿は諦めたのではない、子鹿がライオンに食べられたことを忘れたから」と解説しました。この解説を聴いて、人も悩み苦しみを無くするには、その原因を忘れてしまえばいいと理解しました。
仏教の開祖釈迦の重要な悟りの一つに「諸法無我」があります。この意味は全てのものはあるように見えて実はないというものです。この教えから、本当は無い自分のために悩み苦しむ必要はないということになります。性格がまじめなために、職場で注意されたことにいつまでも苦しんでいる息子に「何を言われても何をされてもいい、すぐ忘れてやる、どうせみんな死ぬんだからと思え」と話しています。
曹洞宗の宗祖道元禅師は、「自己を捨てるとは自己を忘れることなり」と弟子に説いています。悩み苦しむ自己を捨てるには、自分という存在を忘れることだと諭しておられるのです。また、道元禅師は曹洞宗の基本となる修業について一心に座禅に打ち込む只管打坐を説きました。ひたすら座禅修行に勤めることで悩み苦しみ迷いある自己を捨てること、忘れることができます。修行が完成した暁には、本当の自己すなわち仏が見えてくるのです。
次に仏について考えます。私の78年のつたない人生経験上、苦しみ悲しむものを救おうとする仏として生きておられる人は女性に多く見られると感じます。看護や介護、ボランティア活動の現場で親身になって寄り添い優しい言葉をかけている女性の姿に度々感銘を受けました。自殺防止のボランティア活動に取り組む新潟いのちの電話の相談員の方は、日夜様々な悩み苦しみに苛まれる人たちの電話の声に優しく耳を傾けます。相談員の方は、多くが女性です。
新聞に、2024年の平均寿命が載っていましたが、日本の女性は40年連続世界一で87・13才、男性は世界6位で81・09才と記されていました。女性の方が男性より約6才平均寿命が長いことは、仏として苦しみ悲しむものに寄り添い尽くされたことへの神様からの贈物かもしれないと考えます。