「人の深い苦しみ」について(2025年4月テレフォン法話)

 今月は、「人の深い苦しみ」について考えます。新潟日報に、長年自殺対策と向き合ってきた高齢男性の記事が載っていました。以前目にしたことがありますが、自殺対策に取り組む冊子「死ぬな!」を発行した方でした。男性は「生きるなんて、本当は誰もがつらいに決まっているんだ。人間そのものが何かを考えろ」と語っています。
 人はなぜ自殺するほど苦しむのでしょうか。2500年ほど前インドに生まれた釈迦は、生老病死をはじめとする人の持つ様々な苦しみを無くする道を求めて6年に及ぶ苦行のすえついに悟りを開き、人々に自らの教えを説いたのが仏教の始まりです。初期の仏教に、四諦八正道の教えがあります。四諦は、四つの諦めと書き四つの真理「苦集滅道」を表します。最初の苦諦は、人間が苦しみの世界に住んでいる真理を意味します。次の集諦は、苦しみには原因がありあれが欲しいよく言われたいなどと思う欲望、こうでなければいけないとこだわる執着、これらの欲望や執着を煩悩といい、この煩悩が苦しみの原因と考えます。つまるところ、人は自分の思い通りにならないことに苦しむのです。三つ目の滅諦は、苦しみの原因があるならその原因を取り除けば苦しみもなくなる。欲望や執着の煩悩を無くすれば苦しみがなくなることを意味します。最後の道諦ですが、釈迦が示した欲望や執着の煩悩をコントロールする、八つの正しい修行の方法「八正道」をいいます。
 時代はさか上り、釈迦亡き後1100年ほど後インドに密教が出現しますが、真言宗は密教に属します。密教の重要なお経に理趣経がありますが、驚くべきことにこのお経では煩悩と思われた男女の性愛を肯定します。人は本来清らかな菩薩であり、その菩薩の行為である男女の性愛は清らかなものと讃えます。ただ、お経の中で男女の性愛は小さな喜びであり、人にとって最も大きな喜びは苦しみ悲しむものを救うことにあると結論づけています。人の世で、自分のために苦しむのではなく、苦しみ悲しむ他者を救うために苦しむことが最も尊い菩薩の行為と教えているのです。
 今年の初め、夜民放のニュース番組を見ていたら荒れ狂う大海原で必死にヨットを操る男性の姿が映し出されました。57才の男性は、世界一過酷なヨットレースといわれるブアンデ・グローブに日本人でただ一人出場していたのです。このレースは、フランスの港を一人乗りのヨットでスタートし一切港に立ち寄らず、誰の助けも借りず世界一周してスタートした港にゴールする順位を競うものです。ゴールするまで約3か月間、広い大西洋やインド洋、太平洋でものすごい嵐の中折れたマストを修理するなど苦難の連続でしたが、ついにゴールした笑顔の男性がインタビューにこたえていました。アナウンサーの女性が、どうして長期の苦しいレースを一人で乗り越えることができたのか尋ねました。男性は「人生って味会うものではないですか。どんな苦しいことでも、せっかく自分に与えられた人生だから味会わないともったいないでしょう」と語りました。この言葉に感動しました。全ての人間にとって命は限られたものです。どんな苦しいことでも自分に与えられた貴重な命の時間です。与えられた命の時間を味会うことによって、苦しみ多き人の世で、生ききった満足感をもって死ねることを教えてもらいました。


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