今月と来月は、般若心経についてお話いたします。
般若心経は日本で最もよく知られているお経といえます。私の周りでも、特に年配の女性の方はお堂に集まったりして皆さんで上手にお唱えしています。また、写経される方は大体般若心経を書いておられます。
このように大人気の訳は、一つには日本に伝わった大乗仏教の中で特に重要なお経として昔から多くの宗派で唱えられ、法話でも取り上げられてきたことがあります。それと262文字という短いお経であることが一般の人にも受け入れられやすかったのかもしれません。ただ最も大切なことは、お経の中身・教えです。般若心経は物事の正しい見方とそれを日々の生活に生かすことの大切さを教えています。
私達は今から1400年近く前三蔵法師が遠くインドからもたらし漢訳した般若心経を唱えていますが、いくら唱えても私には漢文の力がありませんので意味が分かりません。それで本屋さんで般若心経の解説本を買ってきて読んでみましたが、書いた人によって解釈が少しずつ違っていてどれが本当かよくわかりません。そこでこれは自分自身の解釈でいいのではないか、自分の解釈で自分自身が救われればいいのではないかと考えました。
般若心経の中でも色即是空と空即是色が最も重要な言葉と言われていますのでこの2の言葉に関して私なりの解釈をお話いたします。
まず最初の色即是空ですが、色(しき)は色の漢字で表すように私たちも含め色のついた目に見えるもの、即ちこの世にある全てのものという意味です。そして色は空であると言い切っています。空(くう)は空の漢字で表されます。色即是空は、私達を含めすべてのものは空なんだということをいっています。であれば空とはなにか、私達が実は私達でなく空であったとしたら空は何だろうか。このことを理解するには私達が学校で習った科学を思い出すといいのではと思います。
私は科学の授業が苦手でいつも赤点でした。ただすぐ思い出すのは水はH2Oと習ったことです。水素2と酸素1で水になるということですが、このようにすべての物資が様々な分子や原子といった目に見えない細かなものの組み合わせでできていると習いました。この色即是空の空の意味も私達をつくっている目に見えない細かいものと考えたらどうかと思います。
そうであるなら私達は私達ではなく空の塊にすぎないということになります。このことから私達は私達だと思っていろいろ悩んだり苦しんだりしますが、本当は空の塊で空のために悩んだり苦しんだりする必要はないと考える方が正しい生き方ではないかと居います。つまり自分にこだわらない生き方が正しい考え方ということでしようか。もし人に傷つくようなことを言われたら人と思わず空に言われてもどうってことないと思えたら楽になれるかもしれません。死ぬということについても、自分をつくっている空がもとのようにパラパラになって自然に戻っていく、やがてその空がまた別の塊になり生まれ変わると考えられないでしょうか。
来月はもうーつの空即是色についてお話いたしますが、人として生きていくにはこちらの教えの方が大事かもしれません。