今月は、縁起についてお話します。
縁起がいいとか悪いとか言う縁起は釈迦が悟った根本的な仏教の教えです。縁起は因縁生起の略語で、この世に起きる物事はすべて何らかの原因があって生じているという意味ですが、この原因に当たる言葉が因縁です。ケンカを売るとき因縁をつけるとか言いますがこの因縁も仏教用語で、因は直接的な原因で縁は間接的な原因です。
例えば、私がこの世に存在しているのは両親が結婚したことが因つまり直接的な原因で、一人前になってこうして生きておられるのは親が必死になって育ててくれたり、家族や地域の方に温かく見守ってもらったり、保育園や学校で様々な教えを得て友達からも影響を受け、病気になればお医者さんから治療してもらう等などが縁でつまり間接的な原因です。
この縁起の考え方によれば私たちは一人で生きているようですが、実際は様々な因縁によって生かされているということになります。また、別の因縁によって死に至ることになります。
釈迦はこの因縁生起の考え方から多くの重要な教えに到達しましたが、その一つに四諦の教えがあります。四諦は四つの諦めと書いて四つの真理「苦集滅道」を意味します。苦は人の一生は苦しみの中にあるということです。集は集めるという字で苦しむのには全て原因があるということですが、その原因として人間の持つ煩悩という限りない欲望や正しい考え方や生き方がわからないといったことが挙げられます。滅は原因を無くすれば苦しみもなくなるということです。最後の道は道という字で苦しみを無くする八つの正しい方法として八正道を示しています。八正道とは、この世を正しい目をもって見る。物事の道理を正しくわきまえる。悪口やうそを言わない。人を傷つけたり盗みをしないで正しく行動する。正しい生活を営む。常日頃正しい努力をする。間違った思いを捨て正しい道を目指す。常に心を落ち着かせ安定させる。ことです。
江戸時代の後期に活躍した良寛さんが五合庵にいたとき、現在の三条市を中心とした一帯に大地震が発生し、死者行方不明者が千数百人に及びました。良寛さんは三条の友人に見舞いの手紙を送りますが、手紙の最後に「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候」と書かれていました。意味はシンプルに災難に会うときは会えばいい、死ぬときは死ねばいいということになります。一見冷たい言い方に見えますが、釈迦の教え因縁を深く身に付けた良寛さんならればの言葉かと思います。良寛さんはこう言いたかったのだと思います。
「この世に起きることは全て因縁によって起きるのです。地震が因であり、それによる山崩れ、家屋の倒壊、火災の発生、井戸水が出ないなどを縁として重大な被害が発生したと思われる。自己に降りかかる因縁は決っして避けることはできないが故にそのまま受け止めないといけない、悔やんではいけない。亡くなった方がいるようだがこれも因縁であり受け止めざるを得ない。貴方も死に至ることになったらこの因縁を堂々と受け止めてほしい。」良寛さんがこのような言葉を伝えることができるのは、日頃から因縁があれば災難に会い、死ぬ覚悟ができていたからに他なりません。