今月は、「死ぬのが怖い」について考えます。
悩み事を相談する新聞の人生案内の覧を見たら、15歳の男子学生が「死ぬのがとても怖いです。」と投稿していました。そして、「何をどのように自分に言い聞かせれば、死ぬのが怖くなくなるのでしょうか。教えてください。」と言っています。
これに対し作家の方が回答していました。夕方散歩しながら、自分だったらどう回答するか考えました。「君はとってもいい疑問をもったと思います。死の問題にしっかり向き合い自分なりの答えが出せたら、必ずステキな人生が送れますよ。君が「もちろん、人間は100%死ぬということも知っています。」と言っていますが、そのことをしっかり押さえておくことが大事です。人間が死ぬのは、春芽を出した草花が大きく育ち花を咲かせ、冬には枯れてしまい、また次の春には新しい草花が芽を出す自然のサイクルと同じで、人間も地球上の自然の一部ですから生まれたものはやがて死を迎え、別の物質へと変わります。これは宇宙の法則で、太陽でさえ寿命は約100億年といわれています。
かって、日本中を講話して回られた曹洞宗の沢木興道老師というお坊さんがいました。ある時講話が終わって質問があり、死ぬのが怖くてしょうがない、どうしたらよいかと聞かれ、老師は「心配ない、必ず死ねる」と応えました。
また、ある時の講話で「仏教というのは、ああ人間に生まれてよかったということを教えるものである。」と話されました。この二つの話から、老師は死ぬことは当たり前のことだから考える必要はない時間の無駄だ、幸運にも人間に生まれることができたことを喜ぶべきだと言いたかったと思います。
なぜ人間に生まれてよかったか、これは他の生物と比べたら明確です。人間だけが夢や希望をもちその実現に向かって日々努力することができます。
仏教に「この瞬間をせいいっぱい生きぬく」という考え方があります。人それぞれ自分に与えられた場でせいいっぱい努力し生きていけば、君が言うように、一度きりの人生を思う存分楽しむことができるはずです。仏教では、自分の生き方を決めるときに自分のためだけではなく、他の人や動物たちにも役立ち喜んでもらえることが大切と教えています。なぜなら、人は皆互いに助け合って生きているからです。それと人生はあっという間に終わる気がすると言っていますが、人間の一日は、他の生き物の一生よりも充実していることは間違いありません。そう考えると人の一生は決して短いものではありません。
私は僧侶ですので、檀家の方が亡くなられたと連絡があるとすぐお家に伺ってお布団の側で枕経というお経を上げます。そのときお顔の上の白い布を取って手を合わせますが、微かな笑顔を浮かべておられる方をよく見ます。その時思うのは、この方はいろいろご苦労があったでしょうが、いい人生を送ることができたと満足して亡くなられたのではないかと少しほっとします。
結論をいいます。「死を考えるより、いかにして他人の役に立ち共に喜びと感動に満ちた人生を送ることができるか考え、今を一生懸命生きることが大切です。」若い時先輩のお坊さんに、「死ぬことはちっとも怖くない、だって毎晩練習してるじゃないか」と言われ、死ぬことがあまり怖くなくなりました。