「仏教が説く正しい生き方」について(2024年5月テレフォン法話)

 今月は、「仏教が説く正しい生き方」について考えます。
 新潟日報の紙面に「お酒片手に「死」を語ろう 終活スナック東京に開業」のコラムが目に留まりました。読んでみると、東京都江東区に、終活をテーマにしたスナックが開業し、店主の女性が「ふたをしがちな死の話題をオープンに語り合い、これからどう生きるかを考える場を作りたかった」と話しています。店を訪れると、「子どもに負担をかけないようピンピンコロリで死にたい」「最後まで楽しく笑って生きたい」など、客同士が和やかに話していたと書かれています。
 店内には、華やかな棺おけも常に展示され、実際に中に入って横たわる「入棺体験」ができることが紹介され、客が死に装束を身に着け棺おけに横たわる写真も掲載されています。終活は、近年高齢社会を迎えて取り組む人が増えていますが、人間が自らの死を意識して、人生の最後を迎えるための様々な準備をすることを意味します。多くの人が残された人たちに迷惑をかけたくないとの思いから行っているようです。以前は、日々の生活に追われ死後のことまで考える余裕はなかったと思われますが、現代の人が終活にまで考慮できることは平和で良い社会なのかもしれません。
 仏教の開祖釈迦は、「過去を振りかえってはいけない、もうそこにはいないのだから。未来を心配してはいけない、まだそこにはいないのだから。大切なことは今をどう生きるかだ。」と人々に説きました。この釈迦の教えは、人としての命は限られていることから、人間にしかできない正しい生き方を心がけることが重要と悟ったことによります。過去を悔やむことや死後を心配することは、人として生きる貴重な時間の無駄と考えたのです。
 釈迦の悟った正しい生き方とは、人間だけが持って生まれた慈悲の心によって、苦しみ悲しむ者を救わんとすることです。この苦しみ悲しむ者には、自分自身も含まれます。もし自身が苦しみ悲しみの中にあるなら、いかにして救われるかを考え、人が生まれながらにして持っている智慧を発揮し、他の人の教えを受けて克服のための努力を尽くします。自分自身を救えないものが、他の者を救うことはできません。
 仏教には膨大な数のお経がありますが、多くの経典にこの釈迦の正しい生き方についての教えが記されています。真言宗の重要な経典の一つに大日経がありますが、お経の中で真言宗の本尊大日如来様が直接説く大日経の三句があります。それは、正しい生き方を知るには、初めに人として正しい生き方をしたいと求める強い心を持つこと。二つ目は、正しい生き方を知る本は自分の中にある慈悲の心に気付くこと。慈悲とは他の者の苦しみ悲しみを分かり助けたいと思うことです。三つめは、他の者を助けたいと思ったら躊躇なく行動することです。助けたいと思っているだけでは絵に描いた餅で、実際に行動しなければ意味がないと云っているのです。
 能登半島地震でボランティア活動に取り組む人たちの映像を見るたび、人にしかできない正しい生き方を見る思いがします。釈迦に終活について訊ねると、「終活とは、最後まで自分自身と他の者を救うために努めることです。人は皆助け合って生きており、生まれてから死ぬまで意識しないで終活しているのです。」と応えるかもしれません。


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