「人の死」について(2021年7月テレフォン法話)

 今月は、「人の死」について考えます。新聞の書籍の広告欄に「生物はなぜ死ぬのか」の題名の本が載っていましたので注文して読みました。その本は生物学者の小林武彦博士の著書で、序文の中で「生物学は「どうやって生きているのか」を研究対象としているわけです。しかし見方を変えると、生きているということはいずれ死ぬわけで、死にゆくものを研究していると言うこともできます。」と述べておられます。著者は、本の中で「当然ですが、子どものほうが親よりも多様性に満ちており、生物界においてはより価値がある、つまり生き残る可能性が高い「優秀」な存在なのです。親は進化の過程で、子より早く死ぬべくプログラムされているわけです。全ての生物は生まれ変わりを繰り返し、生と死が繰り返されて進化し続けています。生まれてきた以上、私たちは次の世代のために死ななければならないのです。」と語っています。
また、「人は感情の生き物です。死は悲しいし、できればその恐怖から逃れたいと思うのは当然です。ではこの恐怖を私たちはどう捉えたらいいのでしょうか。答えは簡単で、この恐怖から逃れる方法はありません。」と話します。
 著者は、生物はなぜ死ぬのかを説明するキーワードは、変化、生まれ変わり、進化であると言っています。人間でみると、チンパンジーのような類人猿の遺伝子が変化し、生まれ変わりを繰り返すうちに、現代のようなとてつもなく優れた生物である人間に進化してきたということかと考えます。
 この人の生死に変化と生まれ変わり、進化がかかわっていることは仏教の開祖である釈迦の教えにも表れています。釈迦の最も重要な悟りに「諸行無常」がありますが、諸行はこの世に存在する全てのものを意味し、無常は同じ状態を維持するものはいないということであり、人も同じ状態を維持できないことからやがて死という変化を迎えます。死の後には新たなものへと生まれ変わりが待っています。釈迦は、自らの死が近いことをお供をする弟子の阿難さんに話しますが、泣きじゃくる阿難さんに最後の説法をします。「阿難よ悲しんではいけない、いつも諭した通り私は諸行無常の真理に従い死にゆくだけだ、これからは自分自身と私の教えを縁として修業に励むがよい。」と話されたとお経に書かれています。つまり阿難さんに自分より進化するよう求めたのです。
 この本で最も印象に残ったのは、「地球の美しさのひみつ」の箇所です。ここで著者は、人は何が美しいと感じるかについて、日本の美の象徴であるさくらにヒントがあると言います。著者は語ります「人はなぜ桜に惹かれ、それを好み、美しいと感じるのでしょうか?それは「変化」です。ぱっと咲いてすぐに散る。全てが常に生まれ変わり、入れ替わっています。そしてその生まれ変わりを支えているのは、新しく生まれることとともに、きれいに散ることです。この「散る=死ぬ」ということが、新しい生命を育み地球の美しさを支えているのです。」私はこの個所を読んで、自分の年齢を考えると少しづつ「美しい散り方=死に方」を考えてもいいのかなとの思いが芽生えています。
ただ、最も大事なことは、自分に与えられた大切な人生を最後まで楽しむことであることは間違いありません。


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