今月は、「この世の極楽と地獄」について考えます。
新潟日報の連載「生きづらさ」を生きるに女性作家の方が寄稿され、ご自身が作家となる道筋をつくってくれた高齢男性について、老後の不安が吹き飛ぶような「死に様」を見せつけられたと述べています。その男性は、世間の見方では政治的に強硬な意見を主張する団体の指導者でしたが、女性作家の方はこれまで出会った人類の中でもっとも優しく、最も寛容な人だったと言っています。
79歳で亡くなった「お別れの会」には各界の著名人が多数参加し、みんながみんな故人の人柄を讃え、誰かを否定したり、上から目線で物をいうところなど一度も見たことがないと話していたそうです。暮らしぶりは大変質素で、晩年まで6畳一間の木造アパートで妻子もなく一人住み続けていました。いつも機嫌がよくてニコニコしていて、周りにはその人柄を慕う大勢の老若男女が集っていたといいます。人や環境に文句を言わず、常に感謝の気持ちを口にしておられたと思い出を語っています。「機嫌よく、謙虚に生きる」ことを貫き、みんなに愛された生き方を「老後を楽しく生きる技」として紹介していました。
この一文を読んで、高齢男性の方はこの世の極楽に住んでおられたと感じました。浄土真宗の宗祖親鸞の高弟唯円は、その著書歎異抄の中で「親鸞の考えた往生はそのようなものです。われわれはこの世にいながら、すでに極楽世界の一員であります。」と書き記しています。極楽の楽は喜びを意味します。したがって極楽とは、何の迷いも苦しみもなく、最高の喜びをもって人生を生きることかと考えます。
話変わりますが、本年5月に長野県中野市で31歳の男性が近くで散歩中の主婦2名の方を襲って刃物で殺害し、通報を受けて駆け付けた警察官2名に対し猟銃を発砲して殺害するという凄惨な事件が発生しました。新聞で、殺害された二人の主婦の方に独りぼっちだと言われたと思い込み刺したと供述したことや、二人の警察官殺害に関しては撃たれて殺されると思ったと話していることが報道されました。この事件を起こした男性は、この世の地獄に住んでいると感じます。都内の大学を中退して実家に戻り家業の農業を行っていたようですが、近隣との付き合いもなく襲われた主婦の方たちに悪口をいわれているとの妄想を募らせていたようですが、心の中は不安、悩み、怒りといった追い詰められた地獄の感情に日夜苦しんでいたと思われます。犯行後は、犯した犯罪の重大さに気付いたのか自殺を図ろうとしたようですが、現在も殺害された方が絶えず目の前に浮かび深い後悔と、死刑への恐怖に地獄の苦しみを受け続けているはずです。それだけではありません。市議会議長を務める地元の名士の父や犯行後立て籠もる家に入り自首するよう説得を続けた母、殺害された4名の方の残された家族をも地獄へと道連れにしたのです。これほど罪深いことはありません。
仏教の教えでは、深い煩悩により地獄に堕ちると説きます。煩悩とは人の限りない欲望を意味し、自分のことを中心に考えることによって心に煩悩を抱きます。他の人を中心に考えれば多くの煩悩は無くなると諭します。
この世の極楽も地獄も、人の心の持ち方次第ということではないでしょうか。