今月は、「お葬式と仏教との関係」について考えます。
以前、新潟日報の一般の人の投稿欄「窓」に、妻のお葬式で自ら弔辞を読み涙したことが書かれていました。投稿した90代後半の夫は長年連れ添った妻の葬儀で、原稿もなく遺影の妻に悲しみと感謝の言葉を涙ながらに語りかけ、ふと気がついて周りを見ると参列者全員が泣いており、菩提寺の住職さんも泣いていたことが書かれていて、最後に皆さんのおかげでいい葬式で妻を送ることができたと述べておられました。
この投稿を読んで、今まで数多くの葬儀に出席してお経を読ませてもらいましたが、この住職さんのように涙を流したことがあっただろうかと我が身を振り返りました。
大分前ですが、市内の本屋で「葬式仏教の誕生」という本を買い読みました。
本では葬儀・お葬式を僧侶・お坊さんが行うようになった歴史的背景が書かれていました。概要は、平安時代までは天皇や貴族は別にして一般の人の葬儀を僧侶が行うことはほとんどなかった。理由は、古代穢れをきらう習慣があり死体に触れたり、葬儀などに携わった人間は30日間神社や宮中に出入りすること忌み慎むことになっていて、この穢れが伝染すると考えられていたことにありました。一般の人は葬儀をせず死体を河原や側溝、浜に捨て自然に風化したそうです。山がある地帯では姥捨て山に見るように死体や死にそうな人を山に捨てたと考えられます。ところが鎌倉時代になり、鎌倉仏教とよばれる禅宗・浄土宗・浄土真宗といった新たな仏教宗派が起こり、さらには真言律宗のような旧仏教を改革しようとする宗派が出て、穢れを恐れず積極的に葬儀を行おうとする僧侶の集団が登場しました。葬儀を望む庶民の話が鎌倉時代の説話集によく出てきて、一例として、ある僧侶が日吉神社の帰り道で亡くなった母親の葬儀ができず泣いている独り身の女性に出会った。哀れに思って葬儀をしてやった後で日吉神社に参拝したところ、日吉神社の神様が現れて僧の慈悲をほめて参拝を認めたという説話が残されています。このように求めに応じて僧侶が葬儀を執り行うことが徐々に全宗派に広まっていきました。
江戸時代において日本人はすべて仏教徒とされ、各家は葬式を媒介として寺院と契約を結び、寺院経営を支える基礎単位となる檀家制度が江戸幕府により成立します。さらに幕府はキリスト教の広がりを恐れて、各寺院にキリスト教徒ではなく寺の檀家であることを証明する寺請証文を発行させる寺請制度を始めます。この二つの制度により、日本人全員がどこかの寺つまり菩提寺との檀家関係を結ぶ必要が生じたのです。ここに葬式仏教が確立したことになります。
以前檀家の方が訪ねてこられ、「母が亡くなりました。できるだけ立派な葬式をしてやりたい。生前もっと親孝行してやりたかったができなかった。せめてお葬式はちゃんとやってやりたい。」と涙を流しながら話されました。私も胸が熱くなりましたが、心して葬儀の準備をしなければと思いを新たにしました。鎌倉時代僧侶が葬儀を行うきっかけは、庶民が肉親の死体を前にして途方に暮れている姿に、自身の慈悲の想いからともに悲しみ、大切に供養したことです。日報の窓に見た涙を流す住職さんを見習いたいと切に願います。