「澤木興道老師のお言葉」について(2025年10月テレフォン法話)

 今月は、「澤木興道老師のお言葉」について考えます。
 昭和40年に86歳で亡くなった、曹洞宗の澤木興道老師のことばに関する資料が偶然出てきました。改めて読みなおしましたが、いつ読んでも感動し共感します。以下にお言葉のいくつかを紹介しますが、いずれも昭和初期から40年まで禅宗界の第一人者として活躍され、全国を回って講話されたものです。
 最初は、「一切衆生は悩んでおる。ところが、お釈迦さまから見れば、悩まんならぬことは何もありはせぬ。それを勝手に悩んでおる。自分で悩みをこしらえて、泣いたり怒ったりしておる。」の言葉です。これは老師が別に話された「おのれを抜きにすれば、人生すべてのことで解決しない問題はない。」と繋がりがあります。老師が云う悩まんならんことは何もないのに勝手に悩んでいるとは、みんな自分のために悩んでいると云っているのです。おのれを抜きにすればとは、自分のことを考えなければを意味し、自分なんかどうでもいいと思えば解決しない問題はないと説いています。この二つのお言葉は、自分のことを忘れ考えないことができれば、悩みは無くなることを教えておられるのです。次に、「信濃には田ごとの月という言葉がある。それと同じで全ての人間の心に観音さんが宿っている。じゃが宿っているだけではだめだ。おのが内なる観音さんに出てきてもらい、多いに働いてもらうのがいい。」の言葉です。
 信濃には田ごとの月の言葉ですが、信濃と呼ばれる長野県は山国で山の上まで小さな段々田んぼが一杯あり、そのすべての田にきれいな月が映っている。そのように全ての人間の心の中に観音さんが住んでいることを意味します。これは老師が別に話された「仏とは自分自身のことである。自分自身が仏になるよりほかに仏というものはない。」と繋がりがあります。
 人は生まれながらに智慧と慈悲の心を持つ仏であるとの教えが仏教の基本的な考え方です。観音さんは、悩み苦しむもの救いたいとして活動する慈悲深い仏です。その観音さんが皆の中にある。それゆえに、皆さん観音さんとして日々活動してくださいと澤木老師は説いています。
 最後に、「今の世の中の人間は、オカシナことに自分の人生を、しみじみと考えてみたことがない。「あの人もそうじゃ、この人もそうじゃ」と、それで平気でいるだけである。人並みとかみんないっしょとかいうのはだめだ。」の言葉です。これは老師が別に話された、「天上天下唯我独尊はお釈迦さまばかりではない。だれでもかれでも天上天下唯我独尊じゃ。」と繋がりがあります。
 釈迦が、生まれてすぐ天上天下唯我独尊と言ったとお経に書いてありますが、人は誰でも宇宙でただ一人しかいない優れた存在であることを意味します。老師は、いい学校に入っていい職場に採用されいい暮らしがしたいとする社会の風潮を憂い、宇宙でただ一人の優れた存在なのだから自分にしかできない生き方をするよう説いています。また老師は、「せっかく人間に生まれてきたんじゃから、生まれ甲斐のあることでなければならぬ。」とも云っておられます。ある講話の会場で、話し終わった老師に、前列にいた高齢女性が訪ねました。「老師様、私は死ぬのが怖くてたまりません。どうしたら良いでしょうか。」澤木老師はこたえます。「だいじょうぶ。必ず死ねる。」


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