「考える」について(2024年10月テレフォン法話)

 今月は、「考える」について考えます。
 NHKのちこちゃんにしかられるで、進化しすぎて困った生き物たちをやっていて、いくつもの事例が紹介されました。その一つに、ペンギンは海で泳ぐのがうまくなり、潜ってえさの魚を捕ったりシャチのような恐ろしい敵から素早く逃げることができるようになりました。反面、空を飛ぶ必要が無くなったことから羽が退化して飛べなくなり、地上にいるときさまざまな危険に遭遇します。他にも、オーストラリアにいるコアラは、毒があって他の動物が食べないユーカリの葉を体内で解毒して食べられるようになったことから、餌に不自由しなくなりました。反面、食事のときユーカリの葉の解毒と消化に体力を消耗してしまい、日中はだいたい木にしがみついて寝ているなどいろいろ紹介されました。
 では私たち人間はどうでしょうか。人間は地球上の他の生物に比べてずば抜けて脳が発達しており、数万年の間優れた脳で考える能力を進化させ、21世紀の現在、科学万能の地上の楽園ともいえる便利な人間社会を享受しています。反面、人間にも進化して困ったことがあります。それは人間の進化の源であったはずの考える能力が悪い方に作用し、考えなくてもいいことを考え悩み苦しみことです。他人に嫌われているのではないか。あんなことをしなければよかった。など人の悩み苦しみには際限がありません。
 人間が考える悩み苦しみは、他の生き物はほぼすべて考えません。仏教の開祖釈迦は、「変えられないものは考えてはいけない。変えられるものは考えなければいけない。」と説きました。考えても変えられないものの一つに「人はなぜ死ぬのか」があります。全ての生物の死は自然の摂理で、いくら考えても変えられません。人は死を前にして苦しみ恐れますが、それは考える必要がないことです。道元禅師の言葉かと思いますが、「自己を捨てるとは自己を忘れることなり」があります。この言葉は、悩み苦しむ考えは捨てなさい、忘れなさいと言っておられるのです。
 人は自分のために悩み苦しみますが、そんな大切な自分はいずれ死んでいなくなります。死んだら全ての悩み苦しみは夢の中のこととなると教えています。自分を不快にさせる考えを忘れることができれば、人は心穏やかに人生を送ることができます。
 釈迦のもう一方の教え「変えられるものは考えなければいけない」について、今でも目に焼き付いている情景があります。10年ほど前真言宗豊山派佐渡支所で、東日本大震災の福島第一原発爆発事故による放射能汚染により避難を余儀なくされた、福島県浪江町の同じ宗派の住職さんをお招きしご講演をしていただきました。その折、住職さんはお寺も檀家も全国に散りじりに避難している、苦しい状況について話されました。最後に「釈迦が説いた最も大切な教えは諸行無常です。この教えはこの世のことは全て変化することを意味します。現在帰還困難地域に指定されている故郷浪江町も、子や孫の世代には人間の英知を駆使し、必ずや美しい自然に恵まれた人々が笑顔で語り合う以前の姿に戻ることを確信しています。」と力強く語られました。
 昨年、テレビのニュース番組で浪江町の一部が避難指定解除となり、住民が戻り始めたと報じられました。その知らせを待っていたかのように、この春、住職さん死亡の訃報が届きました。


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