「地獄と極楽」について(2024年8月テレフォン法話)

 今月は、「地獄と極楽」について考えます。
 本棚の「眠れないほどおもしろい地獄の世界」が目に留まり、読み直してみました。本によると日本に地獄・極楽の思想が広まったのは、平安時代比叡山の寺に住していた僧源信が、今から1040年ほど前書き上げた「往生要集」によるところが大きいと記しています。往生要集は、念仏によって極楽往生できるという浄土思想を説いた画期的なもので、大ベストセラーとして平安貴族たちがこぞって読んだそうです。
 本では、往生要集にでてくる恐ろしい地獄を知る前に、地獄世界とは何かについて説明しています。それによると、原始仏教に人は前世の行いによって死後六つの世界に生まれ変わりを繰り返す六道輪廻の思想があり、六道とは悪い順に地獄道、餓鬼道、畜生道、阿修羅道、人道、天道の世界であることを述べています。我々人間は5番目に悪い人道の世界に住んでいることになります。苦しみが最も大きい地獄から最も小さい天道までこの六道世界には全て苦しみがあることから、往生要集は、一切の苦しみがなく死ぬことも生まれ変わりもない阿弥陀様の世界、極楽浄土に往生する方法を教えようと書かれたのです。往生要集には、地獄の世界を生前の罪の大きさによって等活地獄から阿鼻地獄まで八層に分かれているとし、針の山を歩かされたり、釜茹でにされたり、地獄の鬼に襲われたりなどそれぞれの地獄の恐ろしさが詳しく書かれています。
 往生要集を書いた源信の流れをくむ、鎌倉時代に浄土真宗を開いた親鸞上人は弟子の唯円に「本当は、地獄も極楽もこの世にある」と説いたと云われています。昭和初期から40年にかけて全国を講話して周られた沢木興道老師は、ある会場でどうせ死んで生まれ変わるなら極楽より地獄がいい。地獄の方が面白そうだと話したそうです。
 沢木老師は、想像を絶する苦難の人生を送りました。幼くして両親を亡くし、4人の兄弟はばらばらに親類に預けられました。老師は博打打ちの家に養子に出され、博打場の仕事を手伝いながら小学校に通います。17歳のとき家出をし三重県津市から歩いて越前の曹洞宗本山永平寺に行き、雲水として厳しい座禅修行に明け暮れ悟りを開かれました。このように地獄にいるに等しい苦しい人生を過ごし、後で振り返ってあの苦しみを乗り越えたからこそ大きなことを成し遂げた満足感があるとの想いから、生まれ変わっても地獄がいいと言われたと思われます。
 今、折しもパリオリンピックが開催されており、テレビで金メダルが有力視されていた女子柔道の阿部詩選手が、破れて号泣するシーンが放映されていました。このオリンピックの勝利に生活の全てをかけ、3年間地獄のような練習の日々を過ごした阿部選手の涙を見た思いでこちらも胸を打たれました。それから1時間後兄の試合を応援するため会場に姿を見せた阿部選手は、涙のない引き締まった表情で「これから自分の弱さと向き合っていきます」と、次のオリンピックに向けた決意を語っていました。またあの地獄のような練習漬けの4年間が始まるわけですが、後年柔道選手を引退したあと地獄の日々が懐かしく思い出され、満足の笑顔で第2の人生を過ごせるのではないでしょうか。本当の地獄を体験したものが本当の極楽に行けるという、人間だけが味わえる満足の世界かと考えます。


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