今月は、「怒る」について考えます。
ブックオフで、一冊の文庫本に目が留まりました。タイトルは「心がほっとする ほとけさまの50の話」というもので、著者は全国仏教カウンセリング協会代表の岡本一志さんです。読んでみると、全国各地で講演し子どもたちにも仏教の教えを話しているだけあって、大変わかりやすく納得できるお話ばかりでした。
そのなかで、人間の怒りの感情について解説されている箇所を紹介します。仏教の大切な教えに、十の戒め「十善戒」がありますが、九番目の戒めに瞋があります。瞋とは怒りのことですので、この戒めは怒ってはいけないことを意味します。本の中で、著者は仏教の開祖お釈迦さまの怒りについてのたとえ話を記しています。
内容は、あるところに、大変怒りっぽい男がいて、困った家族がお釈迦さまのご説法を聞きに行かせました。釈迦の説法を聞いた男は、いつもイライラして周りが信じられず、怒りに支配され家族や友人にひどいことを言って傷つけてきたことに気付きます。男は釈迦に、「お釈迦さま、私はもう怒りで家族も自分も傷つけたくありません。どうしたらよいのでしょうか」と尋ねます。釈迦は、「怒りの蛇を、口から出すのは下等の人間。歯を食いしばって、口から出さないのが中等の人間。怒りの蛇をぐっと飲みこんで、優しい表情と言葉遣いを心がけなさい」と説きました。男は、お釈迦さまの教えを大切に実践し、近所でも、あの男ほど腹を立てない、温和な人はいないと言われるほどになったと書かれています。
読み進んでいくと、鎌倉時代から室町時代に活躍した臨済宗の禅僧夢窓疎石の逸話が載っていました。内容は、夢窓疎石が弟子を連れて天竜川で渡し船に乗っていた時、酒に酔った武士が乱暴に乗り込んできて、船中で暴れ出しました。疎石が「どうか、もう少しお静かに願います」と優しく頼まれると、武士は、「何をこの坊主、わしに説教するつもりか」と、いきなり鉄扇で疎石の眉間を打ちすえたのです。疎石の額からタラタラと血が垂れるのを見た弟子の僧たちは、「おのれ、お師匠さまに何事か!成敗してくれる」と息巻きます。そんな弟子たちを見て、疎石は「打つ人も 打たれる人も もろともに ただ一時の 夢の戯れ」と歌を詠んで弟子たちをたしなめたそうです。この歌について「相手を責めて傷つける人も、責められて傷つけられる人も、ともに、夢の中の出来事なのだ。やがて二人ともこの世を去り、いなくなってしまうのだ」という歌と解説しています。疎石は、乱暴な武士も自分もいずれ死んでこの世にいなくなるのだ。ゆえにどんなことも夢の中のできごとなのだ。夢の中のことに怒るのはばかげていると云っているのです。この歌は疎石の悟りであり、すべての迷い、苦しみ、悲しみ、怒りに通じる教えです。人は必ず死ぬのであり、どのような出来事や感情も互いに死んでしまえば意味をなさないことになります。釈迦の教え、人間に迷い、苦しみ、悲しみ、怒りは必要ないとは、この疎石の悟り「全ては夢の中のこと」を知れば理解できます。
この世には、お釈迦さまも許される怒らなければいけないことが数多くあります。ウクライナやパレスチナのガザで、罪なき人たちの命奪っているロシアやイスラエル、ハマスの輩に、世界の人たちはもっと怒らないといけないと考えます。