「空」について考えます(2022年1月テレフォン法話)

 今月は、「空」について考えます。般若心経に色即是空 空即是色と説かれる空は空と同じ漢字で、日本に伝わった大乗仏教の根本的な教えです。般若心経の解説書を見ると空は実体がない、とらわれない心などと説明されています。
私は、空は全ては夢のなかを意味していると考えます。私たちは日々の生活の中で様々な想いを感じます。悩み・苦しみ・悲しみ・後悔・喜び・幸福感・達成感・感動などなどです。ときにはそれらの想いで心が潰されそうになることさえあります。私は、般若心経に説く全ては空であるとは、人間を含む全ての存在や想いは実際にはない夢の中のことと言っているのではないかと考えます。なぜなら夢は必ず覚めるわけで、人は死ぬことによって現実という夢から覚めるのです。人は必ず死にます。夢の中の出来事であるなら悩み、苦しみ、悲しみ、後悔などする必要はないはずです。
 昨年何気なくNHKのEテレを見ていたら、コヘレトの言葉と題する宗教番組で神学者の方とクリスチャンで評論家の方の対談が目に留まりました。コヘレトの言葉は旧約聖書に納められている文献の一つであることが初めて分かりました。驚いたことにコヘレトの言葉には仏教で説かれる空が36回出てきます。人々の暮らしにかかわる様々な出来事に、それは空なのだ。それもまた空なのだ。といった風にこの世に起きる現象を全ては空と語ります。神学者の方が「コヘレトの言葉にでてくる空は様々な日本語に訳されているが、私はつかの間と訳します。」と言われました。それを聞いて、「つかの間」は空を日本語に置き換えるに最もふさわしいものではないかと気づかされました。つかの間は少しの間ということですが、この世のことをそれはつかの間ですと言ってみると空が分かる気がします。たとえば私たち人間は空・つかの間と考えると限られた命となります。また、人が何かに悩み苦しんだとするとそれも空・つかの間と捉えれば、いずれその悩み苦しみはなくなることから少しの間耐えるか誰かに相談すればよいことになります。
 沢木興道老師が講話会の席で「お釈迦さんは、人間は悩んだり苦しんだりする必要は全くないと言っておる。」と言われたのは、人の命がつかの間である以上、命をつかの間の悩み苦しみに使う必要はないと言っておられると考えます。以前私が悩み苦しんだことのほとんどが私の中から消えて無くなっています。やはり、空・つかの間だったのです。
 先月、歌手で女優の神田沙也加さんが宿泊先のホテルの高層階から落下し亡くなられました。35歳の若さでした。突然のことに、沙也加さんの歌や演技に魅了され勇気づけられた日本中の多くの方が嘆き悲しんでいます。私も、ご両親がお骨箱と位牌を抱いて記者会見をされている姿に涙が出ました。沙也加さんがいかなる悩み苦しみも空・つかの間のことと知っておられたら、別の解決策を取られたのではと惜しまれます。
 コへレトの言葉の中で、「一切が空なる世界の中で私たちはどのように生きたらよいのか」の問いがありますが、それに対するコへレトの返答は「それは、妻と仲良く暮らすことだ」でした。最も身近なものを幸せにすることが、正しい人の生きる道ということでしょうか。


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