「三蔵法師」について(2021年3月テレフォン法話)

 今月は、「三蔵法師」についてお話します。私は子供の頃孫悟空が主人公の西遊記の漫画が大好きで、孫悟空の大活躍に胸躍らせたものです。その後本当の西遊記を知って、主人公は孫悟空がお供した唐の国現在の中国から天竺、現在のインドへお経を求めて苦難の旅を続けた三蔵法師であることを知りました。
 三蔵法師の名前は玄奘といい、今から1500年程前中国で生まれました。成長し僧となったが、当時中国に伝えられていたお経の解釈に疑問を感じ、どうしてもお経が創られた天竺へ渡り、現地の言葉で書かれたお経を手に入れたいとの思いを強くしました。この決意のもと27歳の時三蔵法師は唐の都長安から天竺への旅に出ました。この旅は世界で最も厳しいルートを行くもので、水一滴無い砂漠を何か月も歩き、天山山脈やパミール高原を登りヒマラヤに沿ってインドへ達するという気の遠くなるような旅で、3万キロをほぼ2年かけて歩き通したのです。
 インドでは、各地にある多くの修行僧が学ぶ寺院を訪れ経典の研鑽に努めました。全ての目的を達した三蔵法師は再び険しい山脈や砂漠横断のルートで、650部の経典をはじめ多くの仏像等を携え唐へと帰国しましたが、国を出てから17年の歳月を要したのです。
 帰国後唐の皇帝の命を受け、直ちに持ち帰った経典を中国の言葉に翻訳する大事業に着手し、死の直前まで19年かけて全ての訳業を完成させました。この三蔵法師の翻訳事業により、日本から唐に来ていた留学僧たちが正しいお経の解釈を知り翻訳された経典を持ち帰ることができました。
 現在私たちが唱えている般若心経や大般若経600巻等多くの経典は三蔵法師が翻訳されたものです。こうしてみると、インドに始まった仏教がアジアの東の果ての国日本で最も花開いた礎は、三蔵法師の命がけの天竺への旅にあったといっても過言ではありません。
 私は三蔵法師に関してもう一つ深く感銘を受けたことがあります。10年程前テレビを見ていましたら、お二人の僧侶が木像を挟んで笑顔で会見に臨んでいました。お一人は中国の三蔵法師のお墓がある興教寺のご住職で、もうお一人は新潟市内の延命寺の住職さんでした。延命寺さんのお話しでは最近興教寺から三蔵法師様の御像を贈られたことから、お二人で中国奥地のシルクロードの町トルファンを訪れました。目的はトルファンは三蔵法師が天竺への旅の途中で立ち寄った高昌国があったところで、高昌国王は、このまま留まってお経を説いてもらいたいと懇願したが、三蔵法師は丁重に断り、代わりに帰国の途中再び高昌国へ赴き持ち帰った経典を説かせてもらいますと約束しました。すると国王は馬30頭に長旅に必要な黄金、食料、衣服等を積ませ、25人の家来を付けて快く送り出しました。帰国途上三蔵法師は約束を果たすべく高昌国へと向かいました。しかし三蔵法師が目にした高昌国は自国唐に滅ぼされ崩れた城壁が砂漠に残るのみでした。そのことを知るお二人はトルファンの崩れた城壁の前に三蔵法師の御像を安置し、般若心経をお唱えして高昌国王との約束を代わって果たされたと話しました。
 私は三蔵法師が天竺への旅の目的を果たすことができたのは、必ず約束を守るというご自身の誠実なお人柄ゆえであり、訪れた各地の人たちから深い信頼を得られたことによるものと確信しました。


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