「命の期限を切られたら人はいかに生きるべきか」について(2020年7月テレフォン法話)

 今月は、「命の期限を切られたら人はいかに生きるべきか」について考えてみたいと思います。今こうしている間にも、医師からがんの患者さんに「あと約何か月の命と思われます」と告げられる人は、世界中でおびただしい数に及んでいることは間違いありません。
 以前夕方のNHKニュースを見ていたら、「がんになった緩和ケア医」という特集番組をやっていました。内容は愛知県の病院で緩和ケア病棟に勤務する医師の方が、ご自分も2年前胃がんになり手術をされ、昨年春に肝臓への転移が分かり有効な治療方が無くなった方のお話でした。
 緩和ケア病棟は、がんが進行し治療の手立てがなくなった患者さんに、がんによる苦痛をできるだけ軽減し、好きなことをして精神的にも穏やかに過ごせるよう看護してあげる病院・病棟のことです。この先生はご自身ががんになり完治が望めないことが分かった時、残り少ない人生をいかに過ごすべきか大変悩まれたそうです。しかし、がんになって患者の肉体的・精神的苦しみが想像以上であることを知ったことから、緩和ケア医として自分の経験を活かして患者さんの苦しみをできるだけ少なくしてあげたいと決意しました。現在、体力的に一日3時間しか勤務できないそうですが、悩み苦しむ患者さんと面談し共に生きようという思いを伝えることに自分の存在意義があると考え、すごくやりがいのある仕事をさせてもらっていると語っておられました。
 実際、先生と面談したご主人が患者さんのご夫婦にインタビューしていましたが、「先生に苦しい胸の内を聞いていただき、この先生も同じ末期のがんなのに医者として一生懸命働いておられる、生きる元気をもらいました。」とお二人とも笑顔で話していました。先生のお話から、最後までできる限り自分のやりたいことをやっていく、自分らしく生きていくのががんの苦しみと向き合う最善の方法と知りました。
 釈迦は、ある時弟子の一人から「私は死んだらどうなるのでしょうか」と質問を受けました。釈迦の答えはただ一言「無記」でした。無記とは書くことが無いということですから「言うことはない」という意味かと思います。
 釈迦の言葉の裏に込められた思いを想像しますと「諸行無常の教えのとおりこの世に存在するものは絶えず変化し続けるのであり、死は生まれたものが必ず変化することを意味している。そんな当たり前のことを考えるのは時間の無駄だ。そんなことより、人間に生まれることができた貴重な今をどう生きるか考えるべき。」と言っておられるのではないかと思われます。
 また、釈迦が誕生した時発したとされる言葉「天上天下唯我独尊」について改めて考えてみますと、澤木興道老師曰く「この釈迦の言葉は全ての人間に当てはまるのであり、一人一人が宇宙でただ一人の尊い存在である」ことを意味します。確かに周りを見回してみますと、人間以外に自分のやりたいことを自由にやれる生き物はいません。人間に生まれることができた大変ありがたい縁をかみしめ、余計なことは考えず最後まで笑顔で自分らしく生きていくことが、老病死の苦しみを無くす仏教の教えに叶うことかもしれません。


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