菩薩について。(2018年6月テレフォン法話)

今月は、菩薩についてお話いたします。
仏教の教えには様々な仏が登場しますが、本来は釈迦のみが仏であったわけです。長い仏教の発展過程の中で阿弥陀如来のような如来、地蔵菩薩のような菩薩、不動明王のような明王、毘沙門天のような天部の4部門の数多くの仏が、迷い苦しむ人々を救済するためにこの世にお出になりました。中でも菩薩はいつも私たちの身近におられて、苦しんでいる人たちがいないか目配りをし続けておられます。
 菩薩のお一人の観音様、観世音菩薩は33観音といって33のお姿に変身されて私たちを見守ってくださっていると観音経に書かれています。私は70年余りの人生の中で、自分の周りやまたテレビや新聞、本などを通じて数え切れないほどの菩薩を見てきましたので、私たちの身近に間違いなく菩薩はおられると痛感しています。
最近も、NHKEテレの夜の番組「わが不知火はひかり凪、石牟礼道子の遺言」を偶然見る機会があり言いようのない深い感動を受けました。
それは熊本天草出身の小説家石牟礼道子さんが、わが国最大の公害病であり、20万人を超えるといわれる水俣病患者の苦しみを書き記した小説「苦海浄土」(くがいじょうど)をもとに、石牟礼さんが社会から見捨てられた水俣病の被害患者に寄り添い続けた姿を映し出していました。
テレビの画面に映し出されたのはあまりに悲惨な情景でした。石牟礼さんは多くの水俣病患者の家を訪れて患者の苦しみを肌で感じ、その昔しみを自分自身の苦しみとし優しいまなざしで励ましてこられました。彼女が訪れたある患者の家では、原因企業が垂れ流したメチル水銀に汚染されている魚貝類を食べた母親のお腹の中で、母親同様に水俣病患者になった10歳くらいの男の子が、歩くことも話すこともできず汚れた畳をなめるように這いまわっている。そのみすぼらしい家ではその子の両親は水俣病で亡くなったのか、ぼろ着をまとった祖父母が原因企葉や国から一切の救済措置を得られず、食うや食わずで痛々しい姿の孫を養なおうとしている。水俣病患者の苦しみの実態は想像の限界をはるかに超えていました。少年の祖父が「この子はこんな体で生まれてきたが、ほかの誰よりも魂が深いんじゃ」と話しましたが、その言葉にしみじみ考えさせられました。人間は苦しみが限界まで達すると深い魂の叫びに目覚めるということか、石牟礼さんはその魂の叫びを聞き取ることができた菩薩であったと知りました。石牟礼さんが見つめる先の想像を絶する苦しさに耐え必死に生きようとしている全ての水俣病患者の皆様もまた菩薩であると知りました。
テレビの画面では、石牟礼さんが原因企業の東京本社前や厚生省前で、立ち上がった患者や他の支援者と共に必死の形相で座り込みを続け、加害責任を認め被害患者を救済するよう強く求めていました。
優しいまなざしで苦しんでいる人たちを見守っているだけが菩薩の働きではありません。時には理不尽な行為に苦しむ人を救うために立ち上がって戦うのも菩薩の働きの一つです。なぜなら、33観音の一つ馬頭観音は世にも恐ろしい鬼のような顔をされていますが、昔から多くの人に信仰されました。


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