人はどんなとき幸せを感じることができるか(2019年6月テレフォン法話)

 今月は、人はどんなとき幸せを感じることができるかについてお話します。
先日早朝の船で新潟に渡る用があって、テレビを付けながら出かける準備をしていました。顔を上げてテレビを見たら新潟青陵大学大学院教授の碓井真史教授が女性アナウンサーのインタビューを受けているところでした。
 碓井先生は心理学の権威で、大きな事件があると犯罪心理についてテレビで解説をされるなど全国的にも著名な方です。私も面識があり正覚寺にお出でいただいたことがあります。テレビではいつもの笑顔で「幸せをつかむための心理学」についてお話を進めておられました。
 碓井先生は人は必ずしも成功者でお金があることが幸せとは感じない、むしろ日頃実践している12の行動習慣によって、より幸せを感じることができると先生の研究内容を説明されました。最初に取り上げたのは「人に親切にすること」でした。誰かに何かをあげることに喜びを感じるのは人間の本能と言われましたが、同様の話を先生の新潟青陵大学の講演会で聞いたことがあります。
 講演会の講師は当時の大阪大学学長で哲学者の先生でした。講師の先生は講演の中であらゆる生き物の中で自分より年上の人の世話をする者は人間以外にいない。動物や鳥が子供を一生懸命世話をする光景を目にすることがあるが、自分より年上のものの面倒は一切見ない。ところが人間は年寄りでも障害者でも被災者でも困っているものは全て助けようとする、まれにみる親切な生き物なんだと言われました。
 私は碓井先生や哲学者の先生のお話は仏教の慈悲の教えと同じと感じました。釈迦は人間の優れた特質として慈悲の心を持っていることを挙げていますが、人間は人や動物の様々な悲しみ苦しみに寄り添い、少しでも助けになればと思う慈悲の心を持っています。その慈悲の思いがかなったとき何か満ち足りた幸せな気持ちになれると碓井先生のお話を理解しました。
 その後碓井先生は何点か幸せをつかむ人の行動習慣を話されましたが、中で最も共感した行動習慣がありました。それは「許すということ」です。先生のお話では12の行動習慣のうちこの許すということが最も実行するのに難しく、心理学者は聖書の言葉を引用して指導するそうです。確か神は全てを許したもうといった言葉だったかと思いますが、実は貴方はこの聖書の言葉のように絶えず他の人から許されながら生きているんです。許されることによって生きているなら、貴方も許さなければいけないんじゃないですかといった説明をされるそうです。私は思わずその通りですと心の中でつぶやきました。日頃気付かないうちに周りにいる人やたまに会う人に対し傷つけるようなことを言ったり、自分勝手な振る舞いをすることがよくあります。しかしそのほとんどが許されて争いになりません。このように人は許されながら生きているのですから私にも同じく許すことができるはずです。もし全てを許すことができるなら何かほっとした幸せな気持ちになれるような気がします。
 時間の関係で碓井先生の幸せをつかむ心理学のお話の全てを聞くことはできませんでしたが、お聞きしたことは仏教の教えに相通じるものと感じました。


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