寺院縁起

両津市誌等で公表されている正覚寺の開基は、享徳元(1452)年であり、宮浦慶宮寺末六坊の一寺として元は経塚山阿弥陀院長福寺と称していたが、享保元(1716)年に、八代将軍吉宗の長子長福丸(後の九代将軍家重)に字が同じということから改めたと伝えられている。当時、同様の理由から長福寺の寺名を改めた寺院が他にも島内にあったことが知られている。
 一方、両津市郷土読本の年表には正覚寺の開基を応和元(961)年と記しているが、これは江戸時代正覚寺が別当を勤めた隣接する正八幡宮が、京都石清水八幡宮より分霊され久知郷国見峠へ奉遷鎮座したとされる年号であり、正覚寺が正八幡宮と行動を共にしてきたとする説に基づいている。
 正八幡宮の別当には正徳三(1713)年に就任したが、以来八幡宮例祭の主座を勤め、かっては、現在も本堂に吊り下げられている駕籠に乗って祭りに向かう行列に加わっていた。


駕籠